2012年05月05日

第10回ネット歌会詠草/2

いにしえの奈良の鹿らは誇り持て知床の鹿の気高きことよ
posted by 短歌人会 at 00:31| Comment(6) | TrackBack(0) | 第10回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
奈良公園にいる鹿=ニホンジカと、知床にいる鹿=エゾジカとは、すこし生態系が違うのですが、

鹿センベイを食って暮らす奈良の鹿よ、君らは「いにしえの奈良」の鹿であることに、もっと誇りを持ってほしいものだ。さいはての地に生きる鹿の気高さを見習ってほしいものだ。

というような意見の作品でありましょう。ただし、本土にいるニホンジカも、知床にいるエゾシカも、さまざまな樹木を「食害」しています。私個人的には、若い時に植えたヒノキの大半がニホンジカによって食い枯らされています。奈良公園の鹿のほうがマシか、と。

なんとなく現業的なコメントで、ごめん。
Posted by 西王燦 at 2012年05月07日 18:33
一般には何の関係も無さそうな地名の「奈良」と「知床」を「鹿つながり」で結びつけた着眼が非常におもしろいと思います。ただ、「鹿ら」の「ら」は狙いとはいえやはり少し乱暴すぎなのではと思いました。
Posted by 照井夕佳詩 at 2012年05月08日 20:55
いにしえの奈良の鹿らは誇り持て知床の鹿の気高きことよ

上記、私のコメントではニホンジカとエゾシカの違いについて書きましたが、

「いにしえの奈良の鹿」という書き方はいかがでしょう?
この鹿は、奈良時代の鹿の剥製(ミイラ)ではないですよね。「いにしえの奈良の鹿」というのは、そういう雰囲気を伝えます。
今、奈良公園を歩いている鹿ならば、「いにしえ」という語をすっかり消したほうがいいのじゃないかな。
「エゾシカ」だって、人間とかと関係なく奈良時代より昔から知床にいたわけですから。
Posted by 西王 燦 at 2012年05月21日 19:50
>いにしえの奈良の鹿らは誇り持て知床の鹿の気高きことよ

「いにしえの」については、西王燦と同じです。作者としては、いにしえの奈良の都に棲む鹿と言うくらいの気持ちではないかと思いますけれど、はじめに読んだ時、「鹿」が年古りていると読んでしまいました。
「あおによし」など、如何かと思いました。

鹿も人も、誇りの持ちづらい今日此の頃かなぁ…、なんて。
Posted by 弘井文子 at 2012年05月21日 21:09
>いにしえの奈良の鹿らは誇り持て知床の鹿の気高きことよ

作者の意図として、「いにしえの」は「奈良の鹿」というより、奈良にかかっているのではないでしょうか。それならば、「いにしえの」ではなく「あおによし」とでもするとすっきりする気がします。しかし、奈良の鹿はそんなに誇りのない存在でしょうか?知床の鹿を見たことがないのでわかりませんが・・・。
Posted by 近藤かすみ at 2012年05月21日 22:10
みなさんの意見とおなじで<いにしえの>は奈良の鹿にかかるように読めてしまいます。奈良の枕詞は<あおによし>だと思います。
個人的には主義や主張をあまりストレートに出す歌は好みませんません。
おっしゃりたいことはわかりますが、もうすこしふくらみというか間接的、比喩で表現したほうが歌として訴えるだろうと思います。歌も詩ですから。
この意見初心のころ三井さんにいわれました。
なんか偉そうですいません。
Posted by 青柳泉 at 2012年05月22日 11:56

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