この記事へのコメント

年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山

という西行の歌で知られる「小夜の中山」に、佐々木信綱の歌碑があるのでしょう。私は行っていないのですが、あきらかにありそうです。
西行のこうした作品が庶民に流通したのは昭和3年に刊行された岩波文庫「新訂山家集」(信綱校訂)によるところが多いと思います。
たとえば、『梁塵秘抄』も信綱の発見のようなところがあります。じつに偉大な男。『短歌人』のルーツもここにあります。

ふつう、「小夜の中山」を詠む場合、西行のほうに注目するのですが、ここでは信綱のほうに着目しています。おそらく、上記のような経緯を知った上でのことでしょう。

なお、信綱が「さや」と読んだところは、後に「さよ」とも読まれ、「こゆべし」と読んだところは「こゆべき」とも読まれています。興味のあるかたは調べてみてください。
Posted by 西王 燦 at 2012年05月14日 19:47
今一度訪ねてみたし信綱の碑(いしぶみ)立てる小夜の中山

一読、好感を持ちました。太い調べの通った、定型にきちんとはまった、
直球ど真ん中のようなお歌です。短歌人では、あまりこういう歌が見られないせいか、
新鮮に感じます。

三句「信綱の」が仮に別な名前であったならば、明治や江戸時代の歌であると言われても
さほど違和感はないような気がします。でも、いま読んで少しも古めかしい印象はなく、
作者の現在の境遇や真情が、伝わってくる気がします。

やはり「信綱」がキーワードであるかと思います。この三句で、現代の歌としての
奥行きのある叙情を響かせた歌になったと思います。

Posted by 梶崎恭子 at 2012年05月16日 19:53
今一度訪ねてみたし信綱の碑(いしぶみ)立てる小夜の中山
西王さんのコメントで西行との関連を知り、たまたま読んでいた岡井隆のエッセーで、『山家集』の「たはぶれ歌」に触れた個所で近代短歌にに通じるリアルな表現のおもしろさを取り上げています。そのあとの一節「西行の旅も、あの小夜の中山をこえた東への大旅行でさえ、西行は一人旅したのではなく、一群の仲間、帰依者、弟子たちと共に(踊り念仏のように、また、ナザレのイエスのように)移動して行ったのではないか。」とあり、西行、そしてその偉大さを近代によみがえらせた信綱も生き生きと立ち上がってきます。自分だけでは何も見えなかった歌が、他の方の読み解きで1首の歌の奥行きが深まることが歌会の醍醐味です。
Posted by さとう ひろこ at 2012年05月17日 11:31
岡井さんが勘違いされてるのでしょうか。
「たはぶれ歌」があるのは『山家集』ではなくて『聞書集』の方です。『聞書集』も佐々木信綱さんが発見した由。
宗教民俗学者の五来重氏は、西行は高野聖だったかと推測されてます。当時の聖たちの様子が絵巻物などに描かれていますが、二人一組で旅をすることが多いようです。女性の漂泊の芸能者たちも二人一組。出家した高貴な人も伴僧一人を伴っての旅が多い。西行も、大人数ではなく少人数で修行と勧進の旅をしたと想像する方が、素敵なんですけどね。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年05月17日 18:46
さとうさんのコメントを読んで、気づいたことがあります。

年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山

この西行の作品を、私は、ただひとり、孤独な旅とばかり思っていたのですが、なるほど岡井隆が書くように、随行者がいたはず、ということ。のちに芭蕉が辿った「奥の細道」にも随行者とパトロンたちがいたわけですから。

信綱は、時空を超えた、西行のパトロンかもしれませんね。

私事ですが、『歌壇』という雑誌に、笠原芳光「塚本邦雄論」についての短い書評を書きました。書評には書いていませんが、笠原さんの文中に、岡井隆のキリスト教についての薀蓄に驚きました。

「ナザレのイエスのように」と岡井隆が書いたのは、おそらく、ひそかに、塚本・笠原・岡井という帰依者として書いたのではないか、と思います。
Posted by 西王 燦 at 2012年05月17日 19:53
上記『歌壇』の書評は7月号です。

さとうさんが引用する

西行は一人旅したのではなく、一群の仲間、帰依者、弟子たちと共に(踊り念仏のように、また、ナザレのイエスのように)移動して行ったのではないか。

という部分は、岡井隆が、西行に仮託して、笠原芳光「塚本邦雄論」や、塚本邦雄の『荊冠傳説』へオマージュを捧げているようで、しみじみとします。すくなくとも「ナザレのイエス」という喩えを使ったとき、岡井隆の脳裏には塚本邦雄がいたはずです。

余計なことを書きながら、なるほど、信綱は偉大だと、、、。

なお、田宮さんが引用する、西行が高野聖であったという説は、芭蕉の随行者曾良が幕府の隠密であったという説に似ていますが、男ふたり旅説には同感します。
Posted by 西王 燦 at 2012年05月18日 19:44
 みなさんから歌の意を十全に汲んだ評を頂き、大変有難く感謝しています。かつて西行の足跡を日本のあちこちに探って以来、西行の生活費がどのように調達されたかに興味がありました。平安末期の金融・流通の仕組みとの関連で考えてみたいと思っています。
Posted by 秋田興一郎 at 2012年05月25日 11:12
西行の生活費、というのは面白いテーマですね。実際、あの人はどうやって暮らしてるんだろう、と思う人っていますね。
実際は、西行の実家は金持ちだしな、とか、貴族社会のネットワークがあるんだろうな、とか漠然と考えていたのですが。でも調べてみる価値はありますね。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年05月25日 19:45

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