この記事へのコメント
まりちゃんというのは少し発達の遅れた子どもさんでしょうか。まりちゃんへの語りかけるような言葉がひらがな表記で効いていると思います。
上の句はやはり意味が取りづらいですね。工夫されているんですが。
これは「まりちゃんはもう十歳だというのにわたしを<ちう先生>と呼ぶ」という意味だと取りましたが、間違ってたらごめんなさい。
「十歳」と書いて「とお」と振り仮名をつけると分かりやすいと思います。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年07月07日 05:09
上句は十(じゅう)という名前の保育園の先生なのにまりちゃんはうまく発音でえきなくてチウてんていと呼んでいたと解釈しましたが、十(じゅう)などという名前があるのか疑問なので自信はありません。「私をよぶ」の現在形に少しですがひっかかりました。過去のことであっても臨場感を出すために現在形にしてもいいとは思うのですが。
Posted by 永井秀幸 at 2012年07月13日 16:43
永井さん、田宮さんのコメントを楽しく読みました。この作品のように、作品にとっての大切な情報を作者が意図的に隠していたり、「てんてい」発音障害=「せんせい」というような意図的な扇情表現の場合、「間違ってたらごめんなさい。」(田宮)や「自信はありません」(永井)という弁明は必要がないと私は思います。

この作品で明示されているのは「十」=10際(これは永井が否定)。「チウてんてい」=チウ先生(おそらく発音障害があること)。その子の名前が「まり」らしいということ。(まり、まりこ、まりえなどは不明)ということだけです。

私は、軽いアルツハイマーを患った、老年の元小学校教師の作品と読みました。

「私をよぶ」の現在形に少しですがひっかかりました。

という永井さんの指摘。それがアルツハイマーの兆候です。
回想(夢)のなかに「まり」ちゃんが出てくる。「チイてんてい」と私を呼んでいた、知的障害のある「まり」ちゃんは「てんてい」になりたいと言っていたと思い出す。
「あなたのゆめはかないましたか?」

それでもやはり、かなり差別的な、辛い作品だと思います。



Posted by 西王 燦 at 2012年07月16日 16:56
西王さんのコメントに呆然としてます。
この歌の場合、作者はとくに情報を隠蔽しようとか、扇情的に詠もうとはしていないと思いますよ。ただ技術的にうまく表現できなかったにすぎないと思いますが。
障害者を歌で詠むのは難しいかもしれません。ただ、現場にいる人間には(この作者をそうだと想定した場合ですが)、それなりの思いがあるだろうと思うのです。
また、ここでは「まりちゃんのゆめ」が何であったかは歌われていないと思う。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年07月17日 05:40
西王さんの大胆な読みを驚いて読みました。僕は障害者を詠んだ歌では無くて幼児を詠んだ歌だと読みたいだけなのかもしれません。
Posted by 永井秀幸 at 2012年07月17日 16:54
はじめはさっぱり解らない歌と思いましたが、十歳と書いて「とお」振り仮名をつけるという田宮さんの提案をみて、この歌が解りました。十歳なのに「チうてんてい」としか発音できないというのは、かなり発達障害があるわけで、先生(作中主体)は特殊学級(現在はどう呼ぶのか知りません)の教師ということです。不自由な言葉で、自分のゆめを打ち明けているので、かなりの信頼をよせているし、「まりちゃんのゆめはかないましたか」と過去形になっているので現在は離れているのだと思います。説明は何もなくて、心の交流の深さが感じられるいい歌だと思います。
Posted by さとう ひろこ at 2012年07月18日 07:06
意見がほぼ出尽された感がありますが、歌に呈示された少ない情報量からは、幼いまりちゃんに「将来なにになりたいの」と質問をして、まりちゃんが「チウてんてい(のような先生)」と答えたと思われます。
Posted by たかだ牛道 at 2012年07月18日 07:33
たかださんも西王さんも、「まりちゃんのゆめ」が「先生になること」だと解釈されてますが、どこからそんな読みが出てくるのか不思議でなりません。飛躍しすぎです。この歌を素直に読んだら、そんな曲がった読みは出てくるはずはありません。
作者は、作中主体たる<私>をまりちゃんが「ちうてんてい」と呼ぶ、と言っているだけです。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年07月18日 19:11
この歌の主題(眼目)は「まりちゃんのゆめかないましたか」と思います。その示唆するところは序詞(イントロ)で述べられた「チウてんてい」しか情報量はないのです。これは歌から得られた推測で、作者の歌意にそっているかどうかは分かりません。短詩型文学では作者の意図とは違った読みをされるのは宿命とも言えるでしょう。私もはじめは田宮さんのようにも読みましたが、それではちょっと悲しい。まもなく、作者の自解がはっきりさせるでしょうが。因みに「十」の姓名を検索するとあることはあります。
Posted by たかだ牛道 at 2012年07月19日 09:01
言い訳ではないのですが、「十なのに」というのは私にもよく分からない表現なのです。そこで一つの可能性として「十歳」のことかと考えてみたわけです。永井さんの述べておられるように、まりちゃんは幼子であるという可能性ももちろんあると思います。
短歌において、作者の意図と違った読みがなされるのは、<宿命>だとは言えませんね。それは作品がよくないか、読者が非論理的すぎるかが原因です。歌にだって、読みの論理はあると思う。、
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年07月19日 11:20
私、小学生のころ<すずめ>といえず<ちゅじゅめ>と言って笑われていmした。発音障害?わたしって障害児だったなかあとちょっとびっくり。この歌すこしわかりにくいのは十というのが年齢なのか先生の名前なのか分からないところ、たぶん過去の思いでなのに現在形を使っているところじゃないでしょうか? 
Posted by 青柳泉 at 2012年07月19日 22:00
なんとなく物議をかもすような読解をしてごめんなさい。作者のかたにもごめんなさい。

ひさしぶりに「構造主義的な読み」ということについて手短に補足します。ずっと以前「深読みの浅瀬渡り」という文章を短歌人に書きました。つまり、短歌を読む場合は、そこに書かれていることだけを読む、という意見です。

たかださんが

歌に呈示された少ない情報量からは、幼いまりちゃんに「将来なにになりたいの」と質問をして、まりちゃんが「チウてんてい(のような先生)」と答えたと思われます。

とお書きです。これが構造主義的読みです。

まりちゃんがケーキやちゃんになりたい、という情報はこの作品にはないのです。しかし読み手は自分の都合で勝手な深読みをしてしまいます。

田宮さんが

短歌において、作者の意図と違った読みがなされるのは、<宿命>だとは言えませんね。それは作品がよくないか、読者が非論理的すぎるかが原因です。歌にだって、読みの論理はあると思う。、

と、いかにも作者の尊厳というかプライドを尊重する素敵なコメントをお書きですが、読者というのは作者に阿る心遣いや、ご自身の気分によって「読みの論理」が恣意的に歪むのです。

書かれたように読むこと。
Posted by 西王 燦 at 2012年07月20日 21:55
「十なのに」というのは誤植か、何かの手違いのミスだったのでしょうね。作者の方には気の毒だったと思います。これぱ「ちづなのに」「千鶴なのに」ではないかと途中で考えたのですが、これを指摘すると作者の名をばらすことになるのでちょっとまずいかな、と。
わたしの名の「ちづ子」、これはペンネームで実は亡母の名前なんですが、母もまわりから「ちうちゃん」と呼ばれてました。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年07月23日 08:53