この記事へのコメント
初句・2句は特にユニークというわけでもない場面設定、ただし「けらし」の語が古風なモードを告げています。
そこへ「盲の子」が登場するのがいささか唐突な感がありました。「盲」ゆえに池の魚を見て愛づることができない、それでかかえて触覚で遊んでいる、という図に作者は何かいじらしさのような感じを抱いて、この歌を詠まれたのだろうか、あるいは、近代は何かというと視覚が優位に置かれる時代なので、それに対して世界とのかかわりの原点としての触覚をクローズアップされようとしたのだろうか、「北国」の語にもそうした思い入れがあるのだろうか・・・、そのあたり、この一首だけを読んだ者としては、この題材とこの詠み方をどう読めばよいのか、いささか迷いが残るように思いました。
Posted by 斎藤 寛 at 2012年07月10日 19:53
斎藤さんは、なるべく好意的にこの作品を鑑賞しようといています。この態度はいい。
しかし、この作品の立場や態度はよくない。
(作者にはごめんなさいね。読者にはこう読めるという意味です。)

「らし」という助動詞は、有名な例でいえば、
「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天の香具山」というように、「なぜ白妙の衣が乾してあるかと言うと、それは夏が来たからだ」という意味を表わします。

北国の夏来にけらし盲の子は池の魚をかかえて

この作品を
「春過ぎて夏来るらし(来にけらし)」〜

の解釈にあわせて読みますと

北国にもようやく夏が来たようだ。(その証拠に)盲の子供たちが池の魚を抱えて遊んでいる。

ということになります。
Posted by 西王 燦 at 2012年07月13日 22:14
 直接の批評ではありませんが、「盲の子」という表現は現在では、あまり良くない表現だとおもわれます。「全盲」は今でも使われています。あるいは「目の見えぬ子」も可でしょうか。一応、専門だったので気になりました。
 下句が大胆な行為を歌っており、魚の大きさが感じられて、いいとおもいます。あるいは魚は「鯉」などと特定した方がよりよくなるかもしれません。
Posted by 山寺修象 at 2012年07月15日 17:15
山寺さんがお書きのように、「盲の子」というのは現在では「良くない」表現です。たとえばこの作品はNHKの短歌番組では読み上げることはしないでしょう。「めくら」という表現をうっかり読んでしまって、後に謝る場面がしばしばあります。私は個人的には「盲学校」は「盲学校」でいいのではないか、「視覚特別支援学校」のほうがずっと差別的だと、ひそかに思う者です。
むろん「めくら判」や「めくら滅法」というのは許しがたいところがありますが。

「日本がギリシャみたいになってしまう」という政府や御用学者の言い方は、「ギリシャ」に対する差別用語だというジョークがあります。
とても微妙なところなので作者のかたに伝わるかはおぼつかないのですが、「北国の盲の子」に対する作者の視線は「ギリシャ」に対するジョークに近いように、私には読めるのです。

「作者は何かいじらしさのような感じを抱いて」と書く斎藤さんの読み方は、繰り返すようですが、とても好意的でいい態度だと思います。
Posted by 西王 燦 at 2012年07月16日 15:58
「盲の子」という表現をめぐってですが、「聾」の場合は、「聾文化」の独自性をポジティヴに語る立場の人々から、「聾学校」が「特別支援学校」と改称されたことについて、根強い反対意見があるようです。(昨年11月、「詩客」の「日めくり詩歌」に坂和生子さんの歌の紹介を書いた時にもふれました。http://shiika.sakura.ne.jp/daily_poem/2011-11-09-3684.html

何年か前、NHK全国短歌大会を見に行った時、入賞された方がご挨拶の冒頭で「私はめくらでございまして・・・」と言われました。ご本人が言われた語なのでオンエアで使ってもいいと思うけれどそんなことはしないだろうなあ、と思っていたら、やはり1時間の番組に編集してオンエアされた時はそのくだりはカットされていました。

この歌の作者の方が、「盲の子」は差別的な表現ではないかという意見もあるであろうことを想定し、それに対する反論も用意されたうえでこのように詠まれたのなら、その表現はそのまま尊重すべきだと思います。「差別語」とか「放送禁止用語」とかいうのがリスト化されて、それを使うことを忌避する、というような事態が進んできたことは、その言葉の使い手たちが実際に存在している差別と闘ってきたということとは全く別の、ただただ身の保全を図るためだけの選択だったのだろうし、現在もそうなのだろうと思います。すみません、ちょっと歌評から外れました。
Posted by 斎藤 寛 at 2012年07月17日 08:43
上記のコメントで書き落としましたが、この歌の「盲の子」を、僕は「めしいのこ」と読みました。
Posted by 斎藤 寛 at 2012年07月17日 14:42
身障者に対する差別は、その差別の用語とともに長い歴史の蓄積があります。その差別(と見なされる)用語は、二十年ほど以前から放送禁止用語となって制約がなされるようになりましたが、行き過ぎで伝統と文化を壊すものだという意見も当初からかなりあったように思います。伝統と言えば、中世以来の狂言なども、その差別表現のためにほとんど上演不可能になっていると聞きます。でも、その狂言の脚本を読むと、現代人の感覚からするとちょっと辛いほど身障者を笑いものにする内容です。
言葉というものは人を傷つけるだけではなく人を殺すこともあります。差別の歴史の中から生まれた言葉に対しては、充分に考慮して扱うべきではないかと思います。また被差別部落に対する差別も差別用語とともに根強くあったことは記憶の中にあります。そういう言葉は文化でも伝統でもありません、抹殺されて当然でしょう。
この歌でむしろ気になるのは、テレビの報道ニュースを見て詠まれたのではないかということです。川か池で視力障害の子どもたちが魚をつかみ取りするというイベントが行われたニュースの映像を最近わたしはテレビで見たのですが、子どもたちはそれはそれは楽しそうな表情をしていて、見ている方も楽しくなるような映像でした。それを作者も見て、「北国にも夏が来たらしい」という感慨を持たれたのでしょうか。西王さんが疑問を呈しておられる「らし」の根拠が理解できます。
べつにテレビの映像をそのままに歌にして悪いというわけではないのですが、マスコミの提供する映像をそのまのま鵜呑みにするのはいかがなものかと思うのです。過去にアフガンやイランイラク戦、9,11のテレビの映像に対していかに夥しい短歌が詠まれたか。この歌がテレビの映像に対して詠まれたかどうかは不明ですが、もしそうでなければごめんなさい。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年07月17日 18:54
いわゆる視力障害について、詳しくもない書き方をしたようで、山寺さんからクレームがあるかと恐れていたのですが、斉藤さん、田宮さん、ありがたいコメントです。

さて、一点のみ追加。

上記のコメントで書き落としましたが、この歌の「盲の子」を、僕は「めしいのこ」と読みました。

と、斉藤さんがお書きのところ。
私も、この作品の「盲」を「めしい」と読みました。しかし、「盲の子」という表現が差別的ではないかという話題に関しては「めくら」として解釈する必要があります。「めしい」は「目+やまいだれに旧漢字の発」=視力を失った者。
「めくら」=目暗には、たとえば緑内障による視野狭窄から、盲学校に行かなければならないような極端な弱視の者が含まれます。盲学校の中において「全盲」の子供の割合はとても少ないと思います。
つまり、この作品における「盲の子」は、すでに山寺さんがお書きの「全盲の子」ではない可能性が多いと思います。

「めしい」は「めくら」より差別的だと、私はひそかに思います。
Posted by 西王 燦 at 2012年07月19日 20:10
コメントありがとうございました。この歌は「日本点字図書館」を創られた本間一夫先生(1915年〜2003年北海道増子出身)の子供時代の一番のお楽しみを描きました。盲(もう)の子と読んで下さい。干してある白妙の布の歌は一千年の時空を越えて夏になると身体の解放感や野山で遊ぶ子供たちの喜びを共感させてくれます。盲の子をいじらしいと感じる晴眼者の情報量の中にどうぞ夏を迎えた池の周りの大人・近所の子供達のにぎやかな声も加え共に過ごして下さい。「ああ!池の水はまだ少し冷たいかも知れません」
戦前公的な障がい者施策がほとんど行われる事がなかった為に起きた無知・貧困・不衛生・性暴力の犠牲者がそれゆえ蔑視され身体の状態を示す語が人間性の差別語に繋がったを不幸な時代はもう過去としましょう。「権利において義務において晴盲二つの世界があくまでも公平でなければならぬ」新聞にかかれた本間先生の言葉を読み返し私は盲の字にカバーをかけたくないのです。
昨年夏は「戦盲」展(失明戦傷者がたどった戦中・戦後)が開かれました。今年は8月末まで「世界のバリアフリー絵本展」が開れ、さわる絵本では風の子が3本の毛糸に変身。「おこだでませんように」(手がかかり怒られ続ける子どもの叫びが伝わる絵本)等が展示されます。
Posted by 会川和 at 2012年07月25日 14:05
大変失礼なコメントを書いて申し訳ありませんでした。
「盲」の字は「めくら」「めしい」ではなく「もう」と音読みをされたかったのであろうとは思いましたが、「もう」と振り仮名をうたれるべきであったかと思います。「盲を「もう」と読むのは差別語かどうか調べてみたのですが、それは分かりませんでした。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年07月25日 21:22