この記事へのコメント
面白くて、うまい歌ですね。大きなキャベツは人間の首と似てますね。その外葉は確かに頭にかぶるとぴったりです。思わずかぶってみたくなる、というのはおかしくて笑えます。でも、そのばかばかしさは人間の愚かさでもあって、妙に物悲しい。ぺーそすがあるというか。
最後の「こころ」まで言い尽くさなくてもいいのではないか、という気もします。
「こころ」をつけると自省するしみじみ感がでるのですが、キャベツの葉をかぶってふざけている映像で終わる方がいいかもしれません。
ちなみに私はキャベツの外葉は捨てません。食べます!。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年07月06日 04:25
思わず笑ってしまう歌で好感を持ちました。作者のお茶目な様子がたのしいです。私は、結句「こころ」でも悪くないと思います。「わたし」とする手もありますね。
Posted by 近藤かすみ at 2012年07月07日 19:24
キャベツの葉っぱをかぶるのってお茶目で楽しいかなあ。わたしはけっこう物悲しい感じがするけど。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年07月08日 13:01
ユーモラスなところと悲しいところの両方を詠まれていて惹かれました。捨てるのがしのびないのはこころがあるからと
やむにやまれずの思いがしますのでこのままが好きです。
Posted by 北島裕子 at 2012年07月09日 13:23
きゃべつの葉っぱを捨てようとして、そうだと思わず被ってしまう。
共感するなあ。

私もやりそうです。
Posted by 楠田よはんな at 2012年07月09日 14:13
幼い子が台所で調理する母親に付きまとい興味しんしんで見ていて、キャベツのそと葉を捨てようとした母の手からもぎ取り、「帽子!」とかぶって見せた場面を思いました。被ってみずにはをれぬこころの「こころ」は無垢な幼子のこころなのではないでしょうか?
Posted by さとう ひろこ at 2012年07月13日 12:06
とても面白い作品で、いいコメントが集まりました。余計な補足ですが、私の記憶では、英語による「キャベツ頭」というのは、「おばかさん」という隠語だったと思うのですが、調べてみますと、ドイツ野郎の石頭という揶揄が主のようです。さとうさんのコメントも、ドビッシーが自分の娘を「キャベツちゃん」と呼んで、『子供の領分』を作曲したというエピソードを連想させますが、やはり、ここは作者自身の戯れと読むべきでしょう。

「ちなみに私はキャベツの外葉は捨てません。食べます!。」という田宮さんのコメントにも一票。
Posted by 西王 燦 at 2012年07月14日 19:35
ご本人のお茶目ごころだったら、「被ってみずにはをられぬわたし」位がいいと思いました。「こころ」とわざわざ強調しているのは無垢な「こころ」に感心したのではないかと思えたのです。
Posted by さとう ひろこ at 2012年07月18日 04:15
有難うございました。
きやべつ外葉を被る(しかもひとりで)のは本人です。ちょっと悲しい歌のつもりでした。
Posted by 大室ゆらぎ at 2012年07月27日 20:49