この記事へのコメント
夏の気分が伝わる一首、と思って読みました。
壁一面の大鏡というのは、一般の住宅ではなくて、ホテルや学校など公共的な施設を想像させます。
その大鏡が夏のひかりを湛えている、ということを言うのに、「まかでみあ」というパテ語を挟んでいるのがこの歌の読みどころで、枕詞というのは新たに創り出すことができるものなのかどうかわかりませんが(季語はそれが可能らしいですね)、もし、「まかでみあ夏」を詠み込んだ良い歌がたくさん現れたら、短歌で「まかでみあ」と言えば「夏」、という連想を一般化させることも可能かも知れない、などと思ったりしました。
マカデミア・ナッツのマカデミアをあえてひらがなにして、元の語とのつながりを薄くしているのでしょうが、「まかでみあ春」「まかでみあ夏」「まかでみあ秋」「まかでみあ冬」と並べてみれば、これはもう必然的に「まかでみあ夏」だろう、という連想が働きます。
理屈を言えば、みんなみの陽光を湛えている鏡は北側の壁にあるのではないか? とも言えますが、しかしやはりみんなみの大鏡がひかりを湛えている、というのが気分としてはぴったりだろう、と思います。
Posted by 斎藤 寛 at 2012年07月06日 16:28
「まかでみあ夏」が解らなかったのですが、斎藤さんの解説で納得しました。「まかでみあ夏」。ことばあそびとしては面白いですが、斎藤さんが絶賛するほどのものとは思いませんでした。枕詞はさすがにありえないと思うのですが…「まかでみあ夏」がいいなら「歌集夏」とか「P夏」もあり、という訳でもないのでしょうけれど。
ところで、夏と鏡の組み合わせを見ると、佐佐木幸綱「詩歌とは真夏の鏡、火の額を押し当てて立つ暮るる世界に」が思い出されますが、本作はそれとはまったく異なる軽快なタッチが特徴的です。じとじとした日本の夏を少しばかり忘れさせてくれるように感じました。
Posted by 村田馨 at 2012年07月07日 04:52
この歌はどう読むのか今でもよく分からないところがあるのですが、「マカデミアナッツ→まかでみあ夏」という言葉遊びだけだとすると、面白いのか面白くないのか微妙で反応しにくいような感じです。「みんなみの」と「まかでみあ」、この二語が音韻と表記の両面から響き合っているというのは分かります。「みんなみの」は、単に「南(みなみ)の、南側の」ということなのか、それとも「地理的に南の、南国の」ということなのか。マカデミアナッツ→ハワイのお土産という連想が働くので、私はどちらかというと後者の方に傾いています。しかし、この「まかでみあ」は殆ど無意味であろうと思うので、あまり深く考えない方が良いのかも知れません。東京のような都市の光景と取っても良いと思います。南国の都市とも取れるし、あるいは都市ではないのかも知れない。「みんなみの」には、やや曖昧なところがあるようです。
「壁一面の大鏡」と、大袈裟なほど大きく出たところはとても良いと思います。文字通りに取る(壁一面に大きな鏡が張ってある)というよりは、どちらかというと、ミラーガラスで覆われたビルの比喩かなという印象を受けました。もちろん、どちらとも読めるでしょう。
いづれにしても、夏のひかりを湛えた大鏡(の眩しさ)を詠っているのであって、そのことは確かに伝わっています。
Posted by 大室ゆらぎ at 2012年07月19日 11:11