この記事へのコメント
ごく短い時間の間の、ほんの二、三秒ぐらいでしょうか、その間の心理の変化があざやかで、なかなか面白いと思いました。
信号が赤で、かっとなって舌打ち、でも信号機に怒っても仕方がないので諦めて沈黙、ふと見ると信号機の向こうにでしょうか、ひるの月が見える、ふっと心が和んだ。というような心理の経過が面白いです。ひるの月って間が抜けていてなんだか気が緩むような感じがしますね。
ただ、舌打ちという言葉、個人的に言わせていただければ、大変いやな言葉です。舌打ちの音、その時の人間のいやな表情、攻撃的な、そして不貞腐れた感情、いろいろ蘇ってきて極め付き不愉快。この言葉のせいでこの歌はわたしにとっては好感度は限りなく低い。
ただ好感度が高いからいい歌とは限りませんね。歌の評価は、そういうものとはべつにあるはずだろうと思いますので、この歌も評価したいです。でも、「舌打ち」という言葉なんとかならないものでしょうか。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年07月16日 21:10
「舌打ち」のあとの「、」これはたいへん効果的な「、」で、この「、」の形態と相俟って、「チッ」なり「チェッ」なり、いやな感じのする舌打ちの音が聞こえるようです。
一字アケを挟んで、上句に「信号機」「沈黙」という固い言葉、「赤」という強い色彩、それに「舌打ち、」、下句には対照的に(「月」を除いては)かな書きの和語の連なりを持って来たところなど、なかなか工夫のある作品だと思いました。下句が特に独創的なものではない(過剰な意味がない)ところも良いと思います。自分で自分の行為を解説しているような上句には、一種の妙な自己劇化があって、可笑しみが感じられるようでもあります。
ただ、田宮さんも述べておられるように、私も「舌打ち」という言葉にはイヤな感じ、出来れば目にしたくないような感じを受けました。特にこの作品では、「、」の存在が大きいようで、「、」があることで、余計に生身の人間の舌打ちが感じられるように思います。そこを作者が狙っておられたのかどうかは分かりませんが、もしそうだとしたら、そこは成功しているのではないかと思います。
ところで、偶々塚本邦雄『約翰傳偽書(ヨハネでんぎしよ)』(原典では漢字はすべて正字であることをおことわりします)を読んでいたのですが、
「雨月」は雨の彼方に見ゆる月ならずロペスが葡萄牙語(ポルトガル語)の舌打
という歌がありました。この「舌打」は少しもいやな感じがしません。
Posted by 大室ゆらぎ at 2012年07月20日 11:50