この記事へのコメント
内容は、よく分かります。淡々とした文体も支持したいです。ただ、全体として、(主に上句に)「全部言ってしまった感」があるようにおもいます。これでちょうどいいと思う人もおられるでしょうが。
Posted by 山寺修象 at 2012年07月09日 09:18
うなぎををしむ、と言えば斎藤茂吉のうなぎ好きを思い出します。

 十餘年たちし鰻の罐詰ををしみをしみてここに殘れる  斎藤茂吉『つきかげ』

近年、うなぎはほんとうに高い。それでも、季節のものですから、この時期いただきたい訳で、おしみて食べるに共感しますけれど、せめて結句「食ぶ」 は「食ふ」くらい、豪快に言った方は良いのかな、なんて。
山寺さんのコメントにある「全部言ってしまった感」、どうなんでしょう…、そう言われればそうですけれど。
Posted by 弘井文子 at 2012年07月09日 13:04
ごめんなさい。繰り返して書いていると思います。ある意味で私はこの(文体の)フリークです。

「し」(き)という助動詞は、「回想」の助動詞です。今回の歌会でも「し」が回想だということ触れた優れたコメントがありました。

スーパーで買へど高騰せしうなぎ


スーパーで買へど高騰せるうなぎ

ですね。いずれにせよ、うなぎは高いが(笑)


Posted by 西王 燦 at 2012年07月20日 22:13
コメントをいただいた方々ありがとうございました。
西王さん、助動詞「き」については10年も前から過去、回想だけの助動詞では無いという持論を僕はもっていまして、いわば確信犯で使っています。手許の福武古語辞典、旺文社古語辞典ともにBとAではありますが完了、存続としてあげ為忠集の「わが園の咲きし桜を見渡せばさながら春の錦はへけり」を例示しています。それ以上に茂吉の用例に「き、し、」をこの完了、存続の意味合いで使ったものが多く有り、そこから確信犯になったもののようです。
Posted by 永井秀幸 at 2012年07月23日 16:59
「き」は、過去・回想を表す助動詞として把握していいのですが、ごく稀に「り」「たり」と同じく存続の意味を表す例もあります。でも、それはきわめて稀な例です。その例は古事記に少し、それから永井さんご指摘の藤原為忠集の、例として挙げておられる歌ぐらいなのです。
それから、茂吉は破格の用法が多いようですので、茂吉が使っているからいいのだ、というのはいかがなものでしょうか。当時のアララギの人、けっこう文法はいい加減です。ただし、折口信夫はものすごく正確です。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年07月23日 17:43