この記事へのコメント
 障害児学校の先生を長くやった経験があり、「生きている天使のような」生徒と私に感じられた生徒を二人担任したことがあります。が、やや直接的すぎる表現かもしれません。下句の展開の方が魅力的な表現で支持したいです。
Posted by 山寺修象 at 2012年07月05日 21:33
たしかに山寺さんの書いておられるように、下の句にポイントがあるように読めます。肩を揉まれているこそばゆいような幸せ感、でしょうか。
作中主体と、そら君とその父親の関係が分からないので、その幸せ感は何通りにも解釈できます。そら君が孫だとすればその父親はわが息子。そら君が子であるならその父親はわが夫。息子と夫ではその幸せ感は微妙に違う。
山寺さんのおっしゃるように解釈すると、父親は、他者ではあるけれども親しみのある若い男性。---、これが一番すてきかも。
「生きている天使」という表現に少し違和感があります。では、天使は本来死んでいるのか、となりかねない。天使とは生死を超越した存在だと思うので。<この世に生きている天使>と作者は言いたかったのだろうと思うので、少し工夫がいるところかなあ、と思います。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年07月06日 04:55
「生きている天使のようなそらくん」は作者の子供であり、「その父親」は作者の夫だと思います。肩を揉んでもらえるほどに親密なのですから。
「生きている天使」はすっと読めました。物語の中や、絵の中の天使じゃなく、今ここに生きている天使です。
臆面もない、あけっぴろげな幸福感の表明が良い。読むわたしも、仕合せな気分を共有できました。
Posted by 弘井文子 at 2012年07月09日 12:34
この歌、天使のようなそら君とその父親は、具体的な誰かを想定しなくてもいいかもしれないですね。天使のそら君、天使の父親(ミカエルあたりでしょうか)として少し抽象的に考えてもいいでしょうか。そういう彼らとほのぼのとしたやさしさを分かち合っている、と捉える。それだけで充分かな、と。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年07月10日 06:07
リハビり室の情景です。リハの先生の息子さんの写真を見せてもらったところ<わあ天使みたい>と思わず叫んでしまいました。家庭の情景ならいいですけどね。
Posted by 青柳泉 at 2012年07月25日 19:07
山寺さん、田宮さん、弘井さん、丁寧なコメントありがとうございました。整骨院の情景と読まれると思ってました。術前リハは当然、痛みもなく
天使のパパはやっぱり天使みたいな目をしていて、ちょっとドキドキ・・・今は手術を受け、痛い毎日、リハの先生も変わってしまい・・懐かしい思い出です。

Posted by 青柳泉 at 2012年07月26日 21:43