この記事へのコメント
>衣替え白いキャラコのブラウスは袖ひんやりと初恋のころ

「キャラコ」、なつかしい言葉です。昭和の学生の夏の制服のブラウスなどに使われていました。
アイロンがけがなかなか大変でしたけれど、後の皺になりにくいのが出たりしました。

歌からは、キャラコのブラウスに袖を通すときの平織り綿の少しばかりひんやりとした感触がまさに感じられます。衣替えで、冬のサージの上着を脱ぎ、制服のブラウス一枚になると、目のつんだ平織り地のキャラコとは言え、わずかな胸のふくらみや下着の微かな線なども自分ながらに意識されたものです。
いい歌だなぁ。
しいて言えば初句「衣替え」がなくても十分伝わると思うのですけれど、キャラコだけでは題の「夏」に弱いかもと言うことで「衣替え」はやはり必要なのでしょうか。
Posted by 弘井文子 at 2012年09月10日 10:59
キャラコの手触りが、作者の夏の手触りと重なる実感のある歌と思いました。
Posted by エリ at 2012年09月19日 22:10
薄手の平織り木綿の生地に糊がたっぷりついている白い布をキャラコと呼んで重宝していたのは、高度成長期以前の頃のことです。物が豊かになってからはキャラコの名は聞かれなくなったように思います。インド綿の輸出港のカリカット(calico)がなまってキャラコになったようですが。この歌は昭和30年前後に少女期だった方の初々しい感受性が伝わります。衣替えという季節感のメリハリがはっきりしていたのもそのころまでだったような気がします。
Posted by さとう ひろこ at 2012年09月21日 11:43
肌触り=身体感覚=季節感=初々しい恋愛感情。
それぞれの方の好評に賛同します。

辞書的な追加。初版広辞苑の「キャラコ」には

繊地細かく薄く光沢がある金巾(カナキン)

とあります。現在の広辞苑の「キャラコ」の説明には「カナキン」は登場しないと思います。むろん「カナキン」を広辞苑で調べれば、「カナキン、canequim〔ポルトガル〕細く上質な綿糸で目を細かく薄地に織った綿布、とあります。

この「カナキン」という言葉もおそらく死語になりつつあろうと思いますが、私の記憶では、「カナキン」は戦争以前の老人の「綿」への憧れ、「キャラコ」は戦後の少女たちの「綿」への憧れだったような気がします。芭蕉さんの時代に「綿」は登場しますが、絹(上流社会)と麻(下層階級)の間に挟まれて、「綿」は複雑な位相をうろうろしていました。(軍服は綿、国民学校では麻とか)。
そういう意味でも「キャラコ」というのは、とても爽やかな印象を与える言葉だったと思います。
Posted by 西王 燦 at 2012年09月22日 04:06