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朝顔は朝に咲く花、やはり紺がよろしいでしょう。一方、朝鮮は朝がきれいな国。
作者は朝顔をみて、昨今の日朝関係の軋轢を案じております。
歌意はこんな所と思われますが、nierymがこの歌にどんな修飾をもたらすのか。
自分たちの話す日本語自体が様々な国の言語の影響を受けているものなのに……と、最近の国有化するかどうかなどの問題について感じる寂しさと、「朝顔や」という俳句の切れ字を使った初句から、「朝顔」の晩夏、又は秋の季語としての季節の寂しさとをかけているのかと思いました。
また、その初句から、「朝顔や(元は「朝顔に」)つるべ取られてもらひ水(加賀千代女)」などの俳句もかけているのかなとも思いますが、そこまでいくと深読みになってしまいそうです。
この歌を一読した時から、nierymが喉に刺さった魚の骨のように気になっておりました。
朝顔に関して、私は石田波響の句を連想しました。
朝顔の紺の彼方の月日かな
たいへん流麗な一首に仕上がっているのではないでしょうか。
広辞苑で「夏」と引くと、高澤さんが書かれている語源の説明が最初にあります。
作者はこの語源を知り、そして日朝関係のことに思いを馳せたのでしょう。
ただ、…nierymなどありつつ寂し の「など」「寂し」はどうでしょうか?
もう少し強く言い切ってもいいような気がしますし、まだその辺が動くような気もします。