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アレッボ石鹸はシリア産だとか。アレッボという地名がシリアにあります。(ちなみにアレッボ石鹸はなかなかの高級品です。)シリアで凶弾で倒れられた若きジャーナリストへの哀悼の歌ですね。
ただ、シリアとアレッボ石鹸を結びつけるだけで終わっているのではないでしょうか。
私は、個人的には、この作品に描かれた「斃れたる一人」の立ち位地には疑義を感じます。ひとことで言えば「撃たれて当然」の立場だと感じます。あまりに美化しないほうがいい。
穂村弘さんに
アトミック・ボムの爆心地点にてはだかで石鹸剥いている夜
という作品があります。かなり以前、小池光が疑義を呈した作品ですが、私はこの作品の、両義的というか、誠実な「あいまいさ」が好きです。
作者は内戦などないこの国にいて、しかも浴室という安心して裸でいられる場所にいます。
そんな戦乱の国で作られているアレッボ石鹸が、私たちにはデパートや通販で
簡単に手に入るというのも不思議なものです。
そういう点ではアレッボ石鹸は象徴的な言葉として魅力的なフレーズではないでしょうか。
そういう場所にあえて覚悟して行ったのだから美化してはいけないというのもわかりますが、
時事詠としては印象深い歌でもあります。