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でもその十五分が過ぎたら、淋しさ、不安はまた蘇ってくるのではないでしょうか。「ともに空に散る」などというのは単なる錯覚にすぎない。ちょっと常套的な表現に逃げたような気がします。
花火を見るぐらいで空に散ってしまうような淋しさなんて大した淋しさではないのでは?という気がするのです。
ここは、淋しさも不安も<ともに空に散るわけではないけれども>花火を見る十五分間だけはそんな気がした、というふうに読みたいです。
何より、声に出して読んで、ひどく読みやすくリズミカルで、結句を「十五分」で結んでいるのも、すとんと落ちる感じで、面白く読みました。
その分、田宮ちず子さんがお書きのように、少しばかり作者の本音が見えにくい気もしますけれど、この歌の良いのは、律と言うのでしょうか、リズム感だとおもいます。
「淋しさも不安も」の部分、何かもっと工夫が出来るのではないかという気がします。「淋しさ」「不安」というのは、詩歌人でなくても言えることで、そこを喩なり景物なりを使うなどして修辞で表現するのが詩歌の醍醐味かと思います。
下句は、「十五分」という納め方など、コンパクトに上手くまとまっていると思います。