この記事へのコメント
「眺めれば」とあるので、現代語で詠まれた歌かと思います(古語なら、「眺むれば」となるかと)。「生(あ)れるが分かる」は、「生れる(こと)が分かる」という意味で、この「生れる」は、動詞が名詞化されたものと思われます。とすると、「生れる」は連体形ということになりますね。
ところで、私がちょっと疑問に思ったのは、現代語に「生(あ)れる」という語が存在するのかどうかということです。
古語には、下二段動詞「生(あ)る」があり、「生れたり」とか「生るること」と活用するかと思います。また、下二段動詞なので、完了存続の「り」と結びついて、「生(あ)れり→生(あ)れる」となることはないはずです(「り」は、四段動詞かサ変動詞に接続)。
となると、やはりこの作品では、「生(あ)れる」を現代語として使っておられるわけですね。一般に使われているのかどうか、何か用例があったら、お教え願えればと思います。
それと、「十二階/より眺めれば」の句跨りは、あまり効果を上げていないように思います。思い切って「十二階より」で初句七音にしてしまう方法もあるのでは?
Posted by 大室ゆらぎ at 2012年09月12日 11:36
大室さんのお書きの点。私の「幻の歌集=バードランドの子守歌」(三十年後に発掘、残部あり、なお希望者には贈呈)に
「受話器より涙あふれり」という誤用があります。

文語の下二段活用について。このことは以前にもこの欄かどこかで書いたと思うのですが、そして、いつごろかというのは江戸時代じゃないのかな、と、追跡を約束しながら実行していないのですが、下二段活用の動詞のほとんどは下一段動詞になりかわってしまいました。
すなわち、終止形と連体形は同じかたちになったわけです。そのとき何が起こったかというと、この作品の例でいえば、
れ・れ・る・るる・るれ・れよ

れ・れ・れる・れる・れれ・れよ
というふうになったわけです。

さて、そのことにも増して、私には興味ぶかいことがあります。作者は、いったいどこの12階から新宿方面を眺めていたのか。たとえば秋葉原?
東京の地理に詳しくないので、ぜひとも知りたいところだ。こういう質問が出るところに、この作品のディテールの欠陥があるかもしれない。
Posted by 西王 燦 at 2012年09月12日 20:12
現代語の「生れる」は無いと思いますが。
短歌などで「生れて」などと用いられることが多いのでそれにつられて「生れる」が出て来たのかも。ここは「生るる」とするか、「生まれる」とするか、でしょうか。
この歌、句またがりもあったりするのですが、全体的に妙にまとまりがよくていいリズムを感じます。。
この歌、オーソドックな写実短歌に直すと次のようになります。
 十二階より眺むれば新宿に積乱雲の生るるが見ゆる
ものすごく短歌短歌してます。ここでは新宿に積乱雲発生という現象が見えるというだけですが、作者はそれを「わかる」と言ってます。つまり積乱雲発生のメカニズムがここから把握できますよと言っているわけです。こういう見方、面白いと思いました。それに「新宿に……発生する」というのが、あの新宿のビル群の上の雲の様子が想像されますが、ちょっと不穏な雰囲気。それを主体は「十二階より」見ている。十二階には十二階としての見え方があるわけで、地上からの見方でもないし三十階からの見方でもない、その位置からの見方なのだという捉え方です。
ちなみに私はいつも七階から東京を遠望していますが、七階からの見え方というのがあるような気がします。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年09月13日 05:57
新宿のビル群、秋葉原から見るのと、立川あたりから見るのと、違いはあるかもしれないですね。でも、あの高層ビル群の威容と空の風景はあまり変わらないのでは?
作者の立ち位置はあまり気にならなかった。どこでもいいとは思わないのですが。この風景、普遍性があるような気がしました。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年09月13日 20:31
「生れる」について、もうすこし。田宮さんが「現代語の生れるはない」とお書きのところ、厳密には、使用頻度が少ない、ということです。

「生る」という古語が戦後まで使用頻度を保っていたならば、「生まるる(下二段動詞)」が「生まれる(下一段動詞)」になったように、「生る」は「生れる」として多くの国語辞典に残っていたでしょう。
「短歌などで」と田宮さんがお書きのところは正確な解説です。そもそも「生る」という古語の使用頻度も古典作品のなかではとても少ない。グーグルで検索すると佐佐木幸綱さんの作品がヒットしましたが。たいていの古語辞典では日本書紀の「生る」の例が載っているはずです。

大野晋さんの説に、とても面白いところがあるので、紹介します。「生る」は「神や人が形をなして忽然と出現して存在する」こと。「生まれる」は「産む」+「生る」で、「子供がその母親から胎生して出現する意」。
つまり、性的行為がなくて出現するのが「生る」。性的行為の結果出現するのが「生まれる」だということです。

この作品の場合、「生まれる」よりも「生れる」の方を、ひそかに支持したいと私は思います。

なお、岩波古語辞典の(おそらく大野晋さんの記述)「生る」に「朝鮮語al(卵)とも関係があろう」という解説は一種のフライイングだと思います。
Posted by 西王 燦 at 2012年09月13日 23:17
昨日コメントを出したのですが、24時間以上経ってもコメントが出てこないので、もしかしたらミスをしたかな、というわけでもう一度書きます。
「生れる」について。
源氏物語大成の索引で「生る」を確認しましたら、用例は一例もありませんでした。古典文法の規範ともなっている源氏物語に「生る」の用例がない、ということは、平安時代には「生る」の語はすでに使われなくなっていたかと思われます。奈良時代以前の上代特有の言葉であったようです。したがって、「生る」から派生する現代語の「生れる」はありえないと思われます。
短歌の世界では、山中智恵子さんあたりがごく普通にこの語を使っておられました。その他の歌人たちも使っておられるような気がします。

たまかぎる夕映生るる石ひとつわが鶺鴒石たたきゐて            紡錘
わざをぎのごとき自由と書きしのち生れつぐあきつ告ぐることなし      虚空日月

山中さんはやはり古代的な雰囲気で言葉を選び取っておられたのでしょう。私、二十歳のころのバイブルが山中さんの歌集でした。山中さんの歌で「生る」の言葉を知ったような気がします。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年09月18日 19:03
「生る」についての田宮さんのコメント、ありがとうございます。「生る」という語が源氏物語の時代には死語になっていたという発見が正確であるならば、この歌会のひとつの名誉です。
そこで、大野晋さんの、「生る」は「神や人が形をなして忽然と出現して存在する」こと。「生まれる」は「産む」+「生る」で、「子供がその母親から胎生して出現する意」という説を思い返せば、山中智恵子さんの作品や佐佐木幸綱さんの作品に登場するのも納得できます。ヘンな言い方ですが、「生る」は性的行為を伴わずに神話的に誕生することでありましょう。
この作品の場合、やはり「生る」という復古的な語がふさわしいような気もします。

ついでに、「新明解」初版の「生まれる」を調べますと、山田忠雄さんは「子・(卵)が、母体から離れて外へ出る」⇔死ぬ、と書きます。
ふと、韓国映画のなかの科白、「おまえみたいな娘は卵で産んで食ってしまえばよかった、、、」を思い出していまいます。
Posted by 西王 燦 at 2012年09月19日 19:38
「生る」は万葉集にはあります。「日の御子の生れましし…」とか「神代より生れ継ぎ」とか。神話的表現の場合です。本当は、国歌大観に例があるかどうか検証しなきゃ断定はできないのですけどね、これやるとすごい時間がかかるので、今回はパス。でも勅撰和歌集に「生る」の例があれば岩波古語辞典がそれを必ず用例として載せるはずだろう、とずぼらに考えてます。
この「新宿に雲が生れる」という表現は、不可思議なものが発生するという雰囲気を醸し出しているように思えます。「生まれる」ではまずいですよね。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年09月20日 10:11