この記事へのコメント
【選歌集計結果=2票】
【投票者=さとうひろこ/渋谷和夫】  
Posted by ネット歌会集計担当 at 2012年11月07日 09:43
漢文の授業を受けているのですが、眠くてねむくて目をつぶってしまって漢字が動いて、どこを読んでいるのか解らなくなった生徒は、ついに教科書の論語のページの上にに突っ伏してしまった・・・と読みとったのですが「目の中に漢字動かし読み迷い」は生徒の視点であり、「孔子の上に生徒伏したり」は教師の視点で語られているのが気になります。
Posted by さとう ひろこ at 2012年11月10日 23:18
さとうさんの仰る「生徒の視点」というのが今一つよく分かりませんでした。これ、生徒の視点と言えるでしょうか。
主語を全部「生徒」とすれば別に問題はないと思うのです。
「生徒は目の中に漢字動かし」ていると作中主体は判断し、
「生徒は読み迷って」いると作中主体は判断し、
「生徒は孔子の上に伏したり」、と作中主体は見ている。
この作中主体は、教師でもあるでしょうし、あるいは神の視点と解釈することも出来ます。特に問題があるとも思えないのですが。統一は取れていると思います。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年11月12日 20:26
「目の中に漢字動かし読み迷い」の主語は「われ」としか思えないのですが・・・
なので下の句と視点が違うと思いました。
Posted by さとう ひろこ at 2012年11月13日 15:02
「われ」は誰と取られたのでしょう。
生徒なのか、教師なのか。

われ(生徒)は漢字動かし読み迷う、のを見た、(漢字を動かし読み迷ったのは誰なんでしょう?)
教師は、生徒が本の上に伏した、のを見た。
と解釈されたのでしょうか。
すこし面倒な感じがするのですが。
生徒の<視点>、ではなく生徒の<意識>として捉えられたのではないですか。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年11月13日 17:07
「目の中に漢字うごかし」がどうしても目の持ち主である本人にしか感じ得ないことなので「我」が主語だと思いました。仮に「主語=視点」とするならこの1首には生徒と教師との視点が2つあると思いました。
しかし、下の句を生徒(である我が)伏したりと考えればよいのかも知れません。
Posted by さとうひろこ at 2012年11月15日 15:13
目の中に漢字動かし読み迷い孔子の上に生徒伏したり

視点が問題になっていますが、田宮さんのおっしゃるように
作中主体を教師、この歌の主語を生徒と読んで何も問題は感じませんでした。

教師に朗読するよう指名されたひとりの生徒が、
何とか読もうと悪銭苦闘して漢字を追うも、
遂に「あー、もう駄目!読めない!」と投げ出して
教科書の上に顔を突っ伏してしまったのでしょう。
<目の中に漢字を動かす>という表現や<孔子の上に伏す>
という表現がユニークでおもしろいですし、
その場の情景が目の前にパッと浮かんで来る歌です。

2句から3句にかけての「漢字動かし読み迷い」の部分が
やや窮屈な感じがしましたが、生徒のあたふたした感じに
合っていてこれでいいのかもしれません。
 
Posted by 伊波虎英 at 2012年11月17日 15:50

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