この記事へのコメント
【選歌集計結果=3票】
【投票者=伊波虎英/生沼義朗/北島裕子】
Posted by ネット歌会集計担当 at 2012年11月07日 09:51
反射材のひかりがふたつ夕暮れははやくなりしか夫婦のさんぽ

健康のためのウォーキングを兼ねた散歩を夫婦でされているのでしょう。
暗い道に反射材の光がふたつ並ぶ光景に夫婦の仲睦まじさが表れています。
昼間と夕方とでは歩く速度に違いがあるような気がしてそれを歌にした所が手柄です。
初句「反射材」の字余りにも早足感が出ています。
たしかに暗いと人間は自然と早足になるものですね。

 
Posted by 伊波虎英 at 2012年11月12日 00:33
伊波さんの評を読むまで、「夕暮れがはやくなったのか」と読んでいたので歌の内容がよくわかりませんでした。「夕暮れに」なら分かったのかもしれません。しかし、分かった上でも、はやくなったのは、歩く速度なのか、それとも散歩する時間帯が早くなったのかが私にははっきりとしません。題材は具体的で面白いし、上句の「ひかりがふたつ」は字の並びも響きもきれいだなあと思います。
Posted by 吉岡馨 at 2012年11月17日 21:57
一読して、日が短くなって夕暮れが早くなったということを言っているのかと思いました。「夕暮れは」とあるので、その述語はすぐ後に来る「はやくなりしか」であると読んだのです。そうすると、「反射材のひがりがふたつ/夕暮れははやくなりしか/夫婦のさんぽ」と切れるわけで、素材がそのまま三つ投げ出されたようになっていて、一首がぶつぶつと切れているように感じ(特に、四句と五句の間)、それがこの歌を選べなかった理由のひとつです。
一方、伊波さんは、「夫婦のさんぽ」の「(足取りが)速くなった」と読んでおられるようですね。この読みの場合、「散歩が速くなる」という言い方(「足取り」というような言葉抜きで)が適当なのかどうか、私はやや疑問に思います。吉岡さんが述べておられるように、「夕暮れに」というのだったら、まだ意味が通じるように思うのですが…
いづれにしても、このように読みが分かれてしまうのは、「はやく」がかなで表記されているためでしょう。作者の意図が「早く」か「速く」のどちらかにあるのだとしたら、漢字で表記された方が良いのではないかと考えます。
それを敢えて作者はかなで表記している(たぶん)。まさか「早く」と「速く」の両方の意味を持たせて掛け詞みたいに読ませようという工夫ではないと思います(そうだとしたら、ほとんど駄洒落です)が、どういう意図だったのか、後で作者に伺ってみたい気がします。
Posted by 大室ゆらぎ at 2012年11月19日 13:35
反射材のひかりがふたつ夕暮れははやくなりしか夫婦のさんぽ

印象にのこったお歌です。
助詞を「に」にして「夕暮れに」とし伊波さんのおっしゃる発見の歌にするのもいいかもしれません。 
夕暮れが早まり見ているうちに靴の反射材が光りはじめた仲のよろしい夫婦のウォーキングの姿をうたった歌ではないでしょうか。
犬は、チカチカするライトをこの頃つけてもらっているのを見かけたことがありますが、スニーカーに反射材がついているのをよく見かけます。お子さん用の靴で、歩く度に点灯するのを見たこともあります。
すると灯るひかりは「よつつ」となり音感はよろしいのですが語感が悪い。数を入れず「ひかりが点り」としてもいいかもしれません。
三段切れはよくないので推敲の余地がありますね。
読みがいろいろに変化してしまうので、あとでお話を聞かせていただくのを楽しみにしています。

Posted by 西五辻芳子 at 2012年11月20日 14:57
場違いな意見かもしれないのですが。
反射材の意味が分からなかったので、辞書で調べましたら、「原子炉内での反射するものが、どうたらこうたら」という内容が述べられていましたので、原子炉に関するものか、と思ったのですが。ただ反射材(反射体とも)の光が外から見えるものかどうか無知なので分かりません。
ただ、現在、大飯原発や福島での原発においても、不気味な光が<ふたつ>見えているという情報があります。
この歌は、それに関するものではないかと思ったのですが。とすれば、夕暮れになり、原発の何か光が見える。それを見ながらの夫婦の散歩も不安感から早足になってくる、という状況が見えて来たのです。考えすぎかもしれませんが。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年11月21日 20:03
みなさんのコメントを読んで、作者の意図したのは歩く速度ではなく、
単純に夕暮れが早くなったことなのかなあと少し気持ちが揺らいできています。

たとえば4句が「はやくなりたり」とかであれば、すんなりそう読めたのかもしれません。
僕が何の迷いもなく「歩く速度」と解釈したのは、日が暮れるのが早くなったということであれば、
指摘にもあるとおり1首が3つにぶつぶつと切れていしまって歌としてあり得ない、
そんな歌は歌会に出て来ないだろうという勝手な思い込みがあったからだと思います。

この読みのブレはやはり作品にとって致命的と言えるでしょうね。
選歌した者としては、「歩く速度」であってほしいと願いつつ、
「夕暮れに」と助詞を推敲するより、「夕暮れは速くなりしか」と漢字表記にして
読みのブレをなくすことを作者におすすめしたいです。
 
Posted by 伊波虎英 at 2012年11月22日 12:15
私は日が暮れるのが早くなったと読みましたが・・なぜかというと反射材を使うのは足元が危うい私のような高齢者しかありえないからです。そして若い夫婦はなかなかそろって散歩する時間的余裕がないからです。犬を飼っているので毎日近くの川辺を散歩しているのですが、すれ違うのはお年寄りカップルばかりです。若い人たちは走っています。
ですから速足になるとは全然読めませんでした。でもそうなるとなぜ<はやくなりたり>でなく<はやくなりしか>としたのかわかりませんけど。田宮さんの意見は深読みだと思いますが。
Posted by 青柳泉 at 2012年11月23日 21:26
この歌、四句と五句が倒置なのだと考えれば別に無理はないと思うのです。

夕暮れは/夫婦の散歩はやくなりしか

となります。
「夕暮れは」は、主語ではなく、提示。
たまたま倒置にしてしまったがために、「夕暮れははやくなりしか」と続いてしまったのでしょうが、これは掛詞的だと考えれば済むことでは?夕暮れてどんどん暗くなる、それにつれて散歩の足取りも速くなる、となります。
反射材の意味が今ひとつピンと来なかったので点は入れませんでしたが、これはこれでなかなかいい歌かも。

Posted by 田宮ちづ子 at 2012年11月24日 17:30

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