この記事へのコメント
【選歌集計結果=7票】
【投票者=青柳 泉/海野 雪/永井秀幸/西五辻芳子/ふゆのゆふ/村田 馨/川音里茶】
Posted by ネット歌会集計担当 at 2012年11月07日 08:50
真夜中、そこだけが明かりがついているコンビに人は誘われるように集まっていく・・それを誘蛾灯と喩えるだけなら似たような発想はどこかで読んだ気がします。
しかしこの歌は作者の視点が止まった場所ではなく、バスの中で動いている視点で詠っているのが独自性を出していると思います。
バスの窓からコンビニを見ているので窓枠によってコンビニの明かりは一瞬だけさえぎられることを繰り返します。
それを「誘蛾灯のまたたき」と表現しているのは情景をよく捉えています、
もしこれが夜汽車から見ている風景なら旅愁を誘う風景ですが、終バスからの風景は一日の疲れを暗示しているようです。
Posted by 海野 雪 at 2012年11月08日 22:06
海野さんの意見に同感です。私もバスでよく移動します、たまに終バスを利用します。当節、電力節約ではあるけれどこちらの目も引くコンビニ。あれ?あんなところに?ということがよくあって、終バスのぼんやりした頭でふっと考えるにはちょうど良いです。

Posted by ふゆのゆふ at 2012年11月09日 12:26
材料が揃いすぎの感もなきにしもあらずですが、場面がよく描けている点、視点の 面白さ、心情が伝わってくる点を考慮して票を入れました。都会詠の佳作と思います。
Posted by 村田馨 at 2012年11月09日 16:48
誘蛾灯のまたたき、終バス、コンビニのあかり
すてきですね。
一緒にバスに乗っているような、映画の1シーンを見ているような、歌ですね。
迷わず1票入れさせて頂きました。
Posted by 青柳泉 at 2012年11月09日 21:29
誘蛾灯のまたたきのごと終バスの窓に流れるコンビニのあかり

 終バスに乗りこんだ作者が、深夜の暗い街並に明るすぎる青い蛍光灯のコンビニの灯が車窓を尾を引くように後方に流れていく明と暗の情景を切りとり、まるで誘蛾灯のまたたきのようだと詠嘆している歌。
一読してよく分かる意味・内容でとらせて頂きました。
序詞のように上の句から結句へとたたみこむように調べがながれています。
また、「終バスの窓」を介して誘うあかりと去りゆくあかりが反転している構成がより情感をたかめています。
Posted by 西五辻芳子 at 2012年11月09日 23:29
皆さんの読みとほぼ同じように読んで、文句なく一票を入れさせてもらった歌でした。
Posted by 永井秀幸 at 2012年11月14日 16:34
なんだか言葉がごちゃごちゃしてません?
単純なことを言うのに言葉をやたら詰めこんで無理に表現しているようで、すっきりしない感じがします。そんなにいいかなあ。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年11月14日 19:16
田宮さんがごちゃついているとおっしゃる理由は、多分、すべてが「コンビニのあかり」についてのことなんで、バランスが悪いのではないでしょうか。こころもち名詞と動詞が交互に来るようなイメージがありますが、これはイメージなので保留。

誘蛾灯というものを子供のころ見ましたが、理屈としては瞬いてもらっては困るんですよ。誘蛾灯というのは田んぼや畑に確かにぽつんぽつんとあるんです。作者の方は誘蛾灯を切ることはできないでしょうね。テーマがコンビニの明かりなのに、終バスというテーマになりそうな言葉もあるし。コンビニと誘蛾灯は多分離せないでしょう。

テーマにできそうな言葉が多いのですね。結局。
Posted by ふゆのゆふ at 2012年11月15日 18:10
誘蛾灯のまたたきのごと終バスの窓に流れるコンビニのあかり

比喩の歌は読むのも作るのも好きです。比喩で大事なのは、
発想の斬新さとそれが読み手の共感を得られるかどうかということで、
使い古された比喩を用いた歌に存在意義はないと常々思っているので、
僕はこの歌をまったく評価できませんでした。

海野さんが指摘するように比喩以外に独自性がある歌だとすればなおさらのこと、
コンビニのあかりを誘蛾灯に喩えた比喩が1首を台無しにしてしまっています。
新しい表現を生みだす覚悟のないまま安易に比喩を歌のなかに用いるべきではありません。
Posted by 伊波虎英 at 2012年11月16日 00:49
伊波さんのお話とうまくリンクするといいのですが。

うちの向かいにはコンビニがあったのですが、向かいなのにあれ?と思ったら閉店なので商品を売りまくります、ってお知らせ、安くなるんですね。全系列的でなくそこだけが。

というわけで人が混雑満員御礼。こういう閉店セールはしょっちゅうあるんですが今接骨院になってます。あえてコンビニにしなくても良いのですが、ここでコンビ二も出てくるし、実話だし。開店のときは込むのは当たり前。

これは尾張と美濃地方の一部的ものか、開店祝いの花束の花を抜いて持っていって良いんですというかそういうことで花がなくなるほど繁盛するといわれてます。コンビニは花束置かないので安いから、とかものめずらしくて!いくのですけど。

閉店する店に人がやってくるのもありがちですかね?

それから誘蛾灯、若い世代は実物見てないでしょうね…いやフェロモンがどうのこうので無農薬というのは果樹園の誘蛾灯です。
Posted by ふゆのゆふ at 2012年11月17日 12:19
誘蛾灯のまたたきのごと終バスの窓に流れるコンビニのあかり

初句から季語の誘蛾灯をもってきたことは、大胆だったかもしれませんが、すべての感情をいわないところがよいです。
誘蛾灯は、田畑や庭園に置かれ、光にむかう性質の蛾をおびきよせ稲や大豆や果樹の害虫を捕殺するものですが、光に魅せられた夜の蛾は燃えさかる炎にさえその身を投じます。そのような性(さが)としての比喩でコンビニによって亡くなるという比喩ではないから、この詩の感性はわからない人には無理かもしれません。
虫の走光性は、芸術の大きなテーマで、速水御舟は、「炎舞」という作品を残しました。
終バスという設定から、作中主体の孤独感とあかりの対比が鮮明になり深い哀しみを暗喩させます。
コンビニは、人が誘われるように入っていき、別に買いたいものがあるわけでもないのに、寄ってしまいます。
作中主体は、あたたかさを求めて寄るのでしょうが、何も用事もなく買うものもなく出る時、空虚な感情をおぼえます。虫なら魅せられた灯に飛び込めるのに、人はまた明日にむかうのでしょう。

選歌後、誘蛾灯をつかったコンビニの歌があることを学びましたが、類想感は感じませんでした。余韻のある秀歌です。 
Posted by 西五辻芳子 at 2012年11月20日 20:37
誘蛾灯は確かに詩情に溢れていますね。溢れ過ぎていて今までいろいろ詠まれすぎた感があります。その上、西五辻さんの仰る「炎舞」のイメージまでまとわりつく。この作品からそこまで感じ取らねばならないとすれば、これはちょっと煩わしい。
コンビニの明かりも終バスも詩情に溢れてます。詩情豊かなものが三つもあって、そのイメージがぶつかり合って、それでごたついていると感じたのかもしれません。何を取り上げて歌うか、はとても大きな問題ですが、どのように歌うかも問題か、と。言葉の運びがかなりもたついているという印象を受けるのです。
伊波さんの仰る「誘蛾灯の比喩が台無しにしている」という意見もなるほどという気がします。「誘蛾灯」が醸し出す過剰なイメージよりは、「終バスの窓を流れるコンビニのあかり」というのはそれだけで美しいと思います。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年11月21日 16:05
桑原憂太郎です。
たくさんの方からコメントをいただき、感謝しています。今回の歌会で、また作歌の勉強になりました。多くの方のご意見をうかがいつつ、自分でじっくり考えることができるのは、ネット歌会ならではだなあ、と思います。自分のペースで、選歌をし、コメントを考え、受けたコメントを返す、という一連のやりとりは、とてもいいと思いました。
ありがとうございました。
Posted by 桑原憂太郎 at 2012年11月29日 21:29

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