この記事へのコメント
【選歌集計結果=8票】
【投票者=青柳泉/岩下静香/海野雪/生沼義朗/太田賢士朗/織田れだ/竹田正史/ふゆのゆふ】 
Posted by ネット歌会集計担当 at 2012年11月07日 08:44
世界。どうも私は、家から一歩でるともう異世界です。何かに過剰に反応するようです。

この作者はたまたまもろもろの雑事とか言うものに忙殺された一日だったのでしょう。薄暮の中徹底的に指を洗って自己を回復しているように見えます。一種の儀式です。

そういう日は本当に疲れ、辛いのでしょう。(多分働いてきた)充実とは遠い疲労が今の労働システムにはあるようです。
Posted by ふゆのゆふ at 2012年11月09日 12:34
薄暮光・・3文字の漢字で硬いと思いましたが、薄暮ーたそがれ、光ーひかり だんだん柔らかく感じられました。
世界に触れすぎた―は抽象的ですが、きっと世間様との軋轢、仕事のストレス等あったのでしょう。十分に伝わってきます。世界という抽象語から触れる、指と具体につながって、本当にうまいなあと感心させられました。
今回の30首のなかでピカイチだとおもいます。
Posted by 青柳泉 at 2012年11月09日 19:25
「指が減るまで」とは日常会話では大げさな表現になりますが、ここでは作中主体の今日の一日が嫌なものを見て疲れた辛い一日であったこと、作中主体が純粋な魂を持っていることを引き出しています。
全体として抽象的な歌と受け取りました。
黄昏の光の中に浮かんでくる傷つきやすい純粋な魂・・静かな美しさと悲しみをたたえた歌です。
Posted by 海野 雪 at 2012年11月10日 07:32
 「〜指が減るまで石鹸で洗ふ」というのは、比喩的に使ってあるとおもうのですが、実際に一日に50回とか100回とか手を洗わないと気がすまないとか、長時間洗い続けないオと気がすまないという症状が、病状の一つとして確か、あったとおもいます。そちらの方をイメージしてしまい、ややマイナスかなとおもいます。
Posted by 山寺修象 at 2012年11月10日 17:46
私も、生きることのの手触りを歌ったようなこの歌にすぐに一票入れました。ただ「世界」や「指が減るまで」という表現は何度か読むうちにやはり少し大づかみな気はしてきました。
しつこく手を洗うところには、山寺さんおっしゃるところのイメージがあると思います。その神経症的なところを「薄暮光」のやわらかさで包んだ歌と読みました。
Posted by 岩下静香 at 2012年11月24日 07:16
インパクトのある歌だと思いました。
作中主体の、ひりひりするようなストレスと感受性を思わせます。

投票しなかったのは、下句の過剰さです。なかでも「石鹸」は、
このような洗い方をする人が石鹸を使わないはずがないので、蛇足だと思います。

初句、抒情を感じる言葉ではじまり、二句三句で、はっとします。
十分読者には伝わってくるものがあります。
上句を生かす下句の方が、ずっと余韻があるように思いました。
Posted by 梶崎恭子 at 2012年11月25日 10:31
とてもうまく表現された歌だと思います。でも、全体が観念的で、類型的になりすぎていると思うのです。
「世界に触れすぎたた○○」というのは一時期とても流行した表現で、既視感があります。
夕暮れに手を徹底的に洗う、という表現も同じくよくある表現です。
全体的に頭の中で「作り上げた」という感が否めません。
「世界に触れすぎた○○」の「世界」なんか止めてしまいませんか。そこにリアルな具体を入れてしまう方がいいと思うのです。リアリズムがいいとはゆめゆめ思いませんが、何か一つひりひりとする現実感がほしいです。
「愛するわが子に触れすぎた手を洗う」
「街路樹に触れすぎた手を洗う」
何でもいいのです。そこに何を入れるかによって、主体の認識や人間性が出てくるように思います。「
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年11月25日 22:00
「指が減るまで」は客観的な表現で、ちょっとおどけて言っている感じがする、というか、主体は一心不乱に手を洗っているようで、実は自分を天井から見下ろしているようです。

一読して、こんな日あるなあと共感する歌でした。
Posted by 織田れだ at 2012年11月25日 22:50
薄暮光けふは世界に触れ過ぎた指が減るまで石鹸で洗ふ

作者にとって、この世は汚れに満ちている。その感じ方が一日が終わる夕暮れの疲れた感覚とともに上手く表現されていると思いました。
「指が減るまで」の痛々しさは、デカプリオが演じたハワード・ヒューズの伝記映画「アビエイター」を思い出しました。ヒューズは、手から血が出るまで洗っていました。

具体的なモノやコトを出さずに、「世界」とすることで、この世のほとんど、あらゆるものに汚れを感受してしまう作者の潔癖が強調されていると思いました。
Posted by 太田賢士朗 at 2012年11月26日 19:16
私も太田さんの意見に賛成です。世界という抽象語を使うことは短歌では非常に難しい。それをうまくつかって下の具体的なものもっていったところの作者の技量を感じました。
Posted by 青柳泉 at 2012年11月30日 10:51
「世界という抽象語を使うこと」の方が短歌ではむしろ簡単なんですよね。だから今まで皆さん、散々使っています。こういうところから脱却する方が本当はすごい!と思ったりするわけなんです。今回は青柳さんの歌の方がはるかに良かったですよ。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年11月30日 19:15

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