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Posted by ネット歌会集計担当 at 2012年11月07日 08:38
おにぎりとおむすびについてあまり考えたことがありませんでした。お結びという言葉を聞いたことがほとんど家庭内ではないからです。

しかし「おむすび」というとあまり固くない感じがします。実際はおにぎりも適度に空気が入って崩れないと美味しくないです。

子供のころおかあさんがつくってくれた「おむすび」いろいろあるでしょうがそれぞれの思い出につながるのではないでしょうか。そういう意味で良い歌だと思います。
Posted by ふゆのゆふ at 2012年11月09日 12:22
おにぎりとおむすびの違いは地域によるもの。
我が家の親は広島なので、おむすびといっていたような気がします。
昭和のという大雑把な捉え方は疑問です。
戦前も昭和だし昭和30年代と昭和60年代はだいぶ違います。
ちょっといじわるな意見でごめんなさい。
感じたまま書いてみました。
Posted by 青柳泉 at 2012年11月09日 23:23
作者には、「昔はおむすびと言ったんだけどなあ」という気持ちがあるのでしょう。
上の句で「おむすびとおにぎりの違いはなんだろう」と謎かけをしておいて、下の句で「昭和時代の、つまり昔の母はおむすびを作っていたのに」と言っているわけですが、どうもうまく流れとして繋がっていない。上の句と下の句がちぐはぐな感じがするのです。「昭和の母」というのは確かに大ざっぱですが、下の句に焦点を置いて詠んだ方がいいと思いました。
でも、作者の気持ちは分かるんです。子ども時代は私も確かに「おむすび」と言ってましたし、昔話にも「おむすびころりん」というのがあります。それが「おにぎり」に一斉に変わっていったのは、テレビの影響ではないかと疑っているのですが。東京では昔から「おにぎり」なんでしょうか。
理論的に言えば、丸いものが「おむすび」です。「むすぶ」の語源から考えると、おむすびは丸くなきゃだめなので。三角とか四角(?)が握り飯。「おにぎり」ではなく「握り飯」と昔は言っていたような記憶があります。私の言う昔とはせいぜい昭和三十年代ですが。、
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年11月10日 06:23
昭和四十年代、五十年代に児童だった私はなんとおにぎりを作る型!を見ました。もしかして自宅?

確かにおむすびおにぎりは地域によると思いますが、これで作ったものはなんと呼べばよいのか。

どちらにしろ手でぎゅっとした感じがしませんね。作者はこのぬくもり、手作り感が大事だったのだと思います。私もそう思います。
Posted by ふゆのゆふ at 2012年11月10日 16:04
明治は遠くなりにけり、という感慨が生まれたのと同じように、昭和も過去の歴史の中に位置づけられたのかな、という気がしました。昭和の母、というのは確かに漠然としていますが、平成も24年になってみると昭和は遠いですね。私の母は昭和元年生まれです。二年前に亡くなりました。昭和の母といえば、わが愚母が思い出されて懐かしいです。料理はめちゃくちゃ下手でしたが。遠足でも運動会でも大きなおむすびでした。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年11月11日 17:43
おにぎりとおむすびの差はなんだらう?昭和の母が大きおむすび

「昭和の」という大雑把な捉え方は疑問という青柳さんの指摘がありますが、
それにも増して表現としても言葉足らずなようで、この歌は、
<昭和生まれの母がわたしに作ってくれるおむすび>という現在の歌なのか、それとも
<昭和時代に母が作ってくれたおむすび>を回想する歌なのかがよくわかりません。
それと、「昭和の母が」の助詞「が」が強すぎるように感じました。
ここは「昭和の母の大きおむすび」で良いのでは。
 
Posted by 伊波虎英 at 2012年11月12日 00:12
<昭和の母>といった時点でこれはもう過去のこととして回想として読めるのではないかとし思います。
「昭和の母が大きおむすび、」としますと、昭和の母が<作った、もしくは作る>おむすび、となって、母がおむすびを作るという行為が前面に出てきます。どちらがいいかは断定できませんが、母の動きが出るという点で、「昭和の母が大きおむすび」というのは活きているのではないかと思うのですが。「が」というのはそれほど強すぎる、とは思わなかったです。
いずれにしてもこの歌、ちょっと失敗作かも。(ごめんなさい)
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年11月13日 06:24

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