この記事へのコメント
わりばしがはだいろをして落ちているのは山手通りか、または全く別の場所なのか。いずれにも取れます。

わりばしの肌色は雪に濡れてしまっていない、乾いた色合いであると思われます。そこでわりばしが落ちている場所には雪が降っているのか、いないのかという点も問題になりそうです。雪が降っていたとすれば、捨てられて間もない、まだ雪に濡れきってしまっていない、そういう状態であると思われます。

わりばしがはだいろをして落ちているのは山手通りとは別の場所だが、不意に(これから行くと思われる)山手通りの雪はどんなだろうか、と想像が働いた。これが一番納得できる読み方ではないかと思います。

手がかりが少なく、大して歌意を理解しているわけでもないのですが、不思議な一首としていただきました。
Posted by 光本博 at 2013年02月07日 18:02
「はだいろ」とは、今はもう絵の具の色の名前としては使われていないあの色を指すのか、それとも誰かの肌の色なのだろうか。割り箸の色が非常に気になる。
Posted by 伊庭日出樹 at 2013年02月07日 23:28
【選歌集計結果=5票】
【投票者=伊波虎英/生沼義朗/花鳥佰/間ルリ/光本博】
Posted by ネット歌会集計担当 at 2013年02月08日 11:26
わりばしがはだいろをして落ちている山手通りに降る雪おもう

夜になって降り出した雪。
作中主体は、ふと山手通りを、そこで昼間見た割りばしのことを、思い出す。
目にしたのが煙草の吸殻や軍手の片割れだったら決して山手通りのことは思い出さなかっただろう。
道端に捨てられた割りばしを肌色だと瞬間的に感知していたからこそ作中主体は思い出したのだ。

割りばしの木の色を人体を連想させる「はだいろ」ととらえたところがこの歌のすばらしいところ。
人体のように道端に転がっている割りばしに降る雪をおもう作中主体自身も
孤独でとても冷え切っているように読み手は感じるのだ。

今回の詠草のなかで一番惹かれた作品でした。

「わりばしがはだいろをして」とひらがなが並ぶ表記は
後半部分の漢字表記の多さとのバランスからも見た目落ち着かないですし、
歌の要でもある「はだいろ」は「肌色」と漢字表記にするほうが良いと思いました。
 
Posted by 伊波虎英 at 2013年02月15日 11:47