この記事へのコメント
【選歌集計結果=2票】
【投票者=加藤隆枝/弘井文子】
Posted by ネット歌会集計担当 at 2013年02月08日 10:54
三好達治の詩「雪」の
 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
ですね。わたし自身この詩はとおりいっぺんにしか知りませんけれど、静謐なイメージを持っています。

が、この歌
 ぶちキレた太郎を教師が抱きかかへやがて眠らす午後の雪の日

は、何とも衝撃的です。「ぶちキレた」なんて、おおよそ詩の言葉らしくありません。
最近は体罰問題がかまびすしいのですが、それと同時にこのように荒れる子供たちも多いのでしょう。何かの加減で切れてしまった生徒を「殿中にござる」式に抱きとめ、落ち着かせ抱きかかえるようにして保健室にでも連れていったのでしょうか。教師の苦闘と切れることでしか自分を表現できない子供の苦悩、双方ともに苦しいことです。
初句の破れかぶれな感じと結句の「午後の雪の日」の静けさ、との対比が哀しい。
Posted by 弘井文子 at 2013年02月09日 09:29
この歌にも魅力を感じました。弘井さんの読み解きがとてもいいです。その通りだと思います。過不足なく言い表して下さってありがとうごだいます。
Posted by さとうひろこ at 2013年02月11日 14:34
意味内容としては、前評で述べておられる通りだと思います。結句は、「雪の日の午後」ではなくて、「午後の雪の日」なのですね。この「午後の雪の日」という言い方は、ねじれているようで、何か変な感じがします。語順としては「雪の日の午後」の方が順当(時間帯のより広い方が前、狭い方が後に来るのが普通)だと思います。そこを「午後の雪の日」とされたのには何か意図があるのかも知れませんけれど、その意図は読みきれませんでした。内容としては、四句までで既に盛り沢山に詰まっているので、ここはあっさりと普通に「雪の日の午後」とするか、あるいはより詩を踏まえた形で「雪のふる午後」「雪はふりつむ」「雪ふりつもる」とするなど、他にも方法があると思うのですが、いかがでしょう。
Posted by 大室ゆらぎ at 2013年02月15日 12:30
私も、三好達治の詩を連想しました。
そして、三好達治の詩に登場する幸せなイメージの子どもたちと、対極にある現代の子どもたちとして「ぶちキレた太郎」を捉えました。
今や「ぶちキレた太郎」は決して珍しい存在ではなく、学級に一人か二人いるのはあたりまえな時代。激した子には、叱咤や説諭ではなく、落ち着くまでの時間が必要です。
下の句の「やがて眠らす午後」からは、無言で包み込むような時間の経過が感じられました。しかもその背景に降り続ける雪からは、大きな包容力を感じました。
Posted by 加藤隆枝 at 2013年02月24日 15:01
桑原憂太郎です。
ご批評ありがとうございました。

三好達治の詩とのギャップを狙って作りました。大げさにいえば、「雪」「眠る」を使って、現代の太郎を詠んだという感じです。

毎回のことではありますが、この歌会に参加される皆さまからのコメントは、作歌の勉強になります。今回も、とても嬉しく思っております。
ありがとうございました。
Posted by 桑原憂太郎 at 2013年03月02日 05:13