この記事へのコメント
「水門」を「水車」と勘違いしてしまい、当初この一首を農村風景のつもりで読みましたが、水門であればそうでもないですね。

そのこととは関係なく、あたたかい日がさしている冬の午後の情景に、心温まるものを感じます。

雪は下校中の子供を待っているわけでもないし、まろげる、という擬人化の表現にも疑問がないわけではありませんが、ほのぼのとしたいいお歌でしたのでいただきました。
Posted by 光本博 at 2013年02月07日 13:51
【選歌集計結果=4票】
【投票者=桑原憂太郎/西五辻芳子/三島麻亜子/光本博】
Posted by ネット歌会集計担当 at 2013年02月08日 10:34
水門にひとつのりたる雪まろげ低学年の下校待ちおり

側溝か運河か、その水門に「雪まろげ」、雪を転がして作った雪玉が載っかています。ふたつを重ねると雪だるまになるのでしょうけれど、どうやらひとつのようです。誰が作って、置いたのでしょう。
「雪まろげ」が下校の小学生を待っている訳ではないのでしょうけれど、通学路に作って置いた人の茶目っけを感じます。
「低学年」と限定しなくても、高学年でも、いえ大人でも雪玉は楽しく感じます。「低学年」限定じゃなくってもよかったかもしれません。
Posted by 弘井文子 at 2013年02月10日 22:09
水門にひとつのりたる雪まろげ低学年の下校待ちおり

一読してよく分かる意味・内容でとらせて頂きました。
「雪まろげ」とは雪をころがして丸めて塊とすることで「雪まろばし」ともいうそうです。
通学路の途中の水門に朝の登校時にのせてから、帰りにまた持って帰るつもりでのせてある「雪まろげ」が低学年の下校を待っているほのぼのとした情景を詠んだお歌です。
出来あがり具合が、いびつでいかにも低学年が作ったようなのでしょうが、低学年というと1年生から3年生までなので、ここでは1年生といいきったほうが、よいと思います。
Posted by 西五辻芳子 at 2013年02月12日 06:52
「雪まろげ」という言葉が、一首をほのぼのとさせました。
雪の降り積もった日の子供が喜ぶ様子が目に浮かんできます。
あえて言えば、通学路にある「水門」というのですから規模はそれほど大きくないと思うのですが、
「水門」というとそれこそ大規模なものからなんでもない小さな水路の水門など、形状も様々です。
たとえばこれがもっとモノを特定する言葉、(例ですが)「欄干」だったりするとより光景が鮮やかになると思います。
いただいておいてなんですが…「低学年」とか「高学年」というカテゴリー分類はできれば短歌の表現では使わないほうが良いのでは?と、私は思います。
Posted by 三島麻亜子 at 2013年02月15日 20:56
みなさんのコメントを読むと、なるほど「低学年」は、ひっかかりますね。
私は、「雪まろげ」の方に、ひっかかっておりました。北海道では使わない言葉なのですので。知らない言葉だと、その語感に一首の印象が左右されやすいなあと思いました。
Posted by 桑原憂太郎 at 2013年02月23日 06:58
皆様、暖かいコメントをいただきありがとうございます。

関東地方に大雪があった2日後に小学生たちが、集団登校する途中で雪で遊ぶのを見かけ、低学年の子どもたちが高学年のすることに「すご〜い」と感激している姿がかわいくて作りました。
「雪まろげ」は
 きみ火を焚け よき物見せん 雪まろげ 芭蕉
から。

 
Posted by 三田村まどか at 2013年03月03日 07:46
 「雪まろげ」をもってきたのは成功しているとおもいます。
 「水門に」という表現は、雪まろげとの位置関係がはっきりしていないようにおもえます。評者二人の解釈にある「水門(の上)に」では、安定が悪いようにおもえるし、「水門(のまえ)に」あるいは、「水門(の近く)に」というニュアンスもありうるのではないでしょうか。
 他の人のコメントにもありますが、「低学年」という言葉は、ややかたいし、すこし理屈になるのではないでしょうか。(低、中、高という分け方もありうるし)
 「雪まろげ」のあとの助詞(は、あるいはが、あるいはの)が、字数を合わせるために省略されているので、下句の主語が「雪まろげ」ともとれるし、作中主体ともとれる可能性のある表現になっていととおもいます。
 この歌の「擬人法」の成否は微妙ですが、私は(いつものように)使わない方を選びたいです。
Posted by 山寺修象 at 2013年03月04日 09:14