この記事へのコメント
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Posted by ネット歌会集計担当 at 2013年02月07日 20:13
>あかときの雪の中にて割れたりし石を手にしてしばしたたずむ

情景はよく分かります。早朝、雪の降る中に割れた石を持ち、作中主体が佇んでいる。
ただ、この割れた石が何の寓意か分からずにいますので、作中主体が何故雪の中に佇まねばばらないのかがわかりません。
割れた石が何か分かれば、場面設定が雪である必然性も分かると思うのですが。
何方か、評をくださいませ。
また三句「割れたりし」は、文法的には間違っていないと思うのですが、少しばかり違和感を感じます。普通に「割れし」では駄目なのでしょうか。
Posted by 弘井文子 at 2013年02月15日 17:39
作中主体が雪の中で石を目にしたとき、あるいは石を手にしたとき、石はすでに割れていたのでしょう。ですから「割れたりし」。
「割れし」にすると主体は石が割れる瞬間を見ていたことになると思います。
雪の中でなぜか割れている石が散らばっている。ちょっとふしぎな光景ですね。
Posted by 田宮ちづ子 at 2013年02月16日 17:55
これは加藤克己の代表作「あかときの雪の中にて 石 割 れ た」を下敷きにしている歌でしょう。

ただ下句が「石を手にしてしばしたたずむ」では、
本歌を受け切れていないように思います。
本歌取りならもうちょっと返歌の要素が要るでしょうし、
パロディなら笑いや風刺の要素が必要ですが、
勝負どころとも言うべき本歌を受けての下句の表現が
おとなしすぎるのでどっちつかずになってしまい、
結果、作者の考えが見えにくくなってしまったと感じました。
Posted by 生沼義朗 at 2013年02月18日 18:10
一応、自解します。

生沼さんのお書きのとおり、加藤克巳(克己ではありません)の
「あかときの雪の中にて 石 割 れ た」
を上句としてまるごと取り込んだ一首です。

加藤克巳が他界して間もなく三年。どんどん忘れ去られていくだろうなあという寂しさから生まれた一首です。加藤さんを後世に伝えるのは沖さんや久々湊さん、吉野さんたちでしょうが、我々もPさんや仙波さんたちを次の世代に伝えなければならない義務を負っている、はずです。そのことを忘れないよう、自戒をこめて詠みました。
Posted by 村田馨 at 2013年03月01日 22:05