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短歌人ネット歌会場
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第15回ネット歌会詠草/24
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2013年05月01日
第15回ネット歌会詠草/25
ナツメヤシの干し実は干し柿の味に似るイランのひとは逆を思はむ
【選歌集計結果=8票】
【投票者=エ リ/大室ゆらぎ/梶崎恭子/竹田正史/西五辻芳子/弘井文子/藤原龍一郎/山寺修象】
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posted by 短歌人会 at 00:03|
Comment(10)
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第15回歌会
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この記事へのコメント
選歌を送る段階でミスをして選歌に加われませんでしたが、私は1位に推しました。この歌のみが、そのままの形で、いい作品だとおもえたからです。
すこし長くなっても日本語で正確に「ナツメヤシの干し実」としている点も評価したいです。音数で区切れば、69577になります。充分、緩急緩急急のリズムで読めます。
下句の視点が、特にいいのではないでしょうか。
ただ一つのマイナス点は、通販や辞書的な説明にも「干し柿のように甘い〜」「レーズンや干し柿の味を濃厚にしたような甘い味がする」などのように書かれているので、両者が似ているのは、すでにあたりまえすぎるとも言える点です。
しかし、この歌の肝要は、下句の視点にあるので、そのマイナス点は5パーセントくらいでしょうか。。
一応、絶賛しているつもりです。
文体のレベル的にかなりの技術を感じさせる作品です。
ここからは直接の批評を越えますが、この歌に何を加えていけるかというと、一首一首を思いつきで散漫な感じに作るのではなく、一首の作品の奥に、はっきりした作者像を感じさせえる作品を作り続けるころだとおもいます。作品に扱うすべての対象に対する真摯な姿勢が大切だとも言えます。この歌でいえば、自分と干し柿、自分とナツメヤシの干し実、自分とイランのひと、自分とイランなど、の一つ一つに対する真摯な姿勢が、結果として作品の奥にはっきりしたひとりの作者像を浮かび上がらせることになるのだとおもいます。
Posted by 山寺修象 at 2013年05月07日 11:01
(追加)
日本の「干し柿」は、「イランのひと」が普通に食べられるほどたくさんは輸出されていないような気もします。あくまでイメージの問題ですが。
Posted by 山寺修象 at 2013年05月07日 16:06
棗は知っています。椰子も知っています。でもナツメヤシは知りません。干し柿に似ているのなら棗っていうのはナツメヤシかもしれません…中華のお菓子を常に売っている場所で買ったことがあります。南の方なら栽培可能かと。
ナツメヤシを知らないと「干し柿のようなものなの」から入っていきます。調べればわかりますが即詠の歌会の場合は手持ちの知識だけでやっていきますから、そういう場では「親切な」歌ですね。
私は鏡のようなイメージで、シンプルなのでそこは買います。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年05月07日 19:04
>ナツメヤシの干し実は干し柿の味に似るイランのひとは逆を思はむ
先行の山寺修象さんの評で、わたしには歌の背景まで読めないことが良く分かりました。
リズムは、初句が6音、二句が9音と大幅な字余りですが、3句以下が定型で、初句二句の字余り感をあまり感じさせずに、違和感なく、むしろ面白く読めました。
ふゆのゆふさんの評にある通り、シンプルで無駄のない点にひかれます。
Posted by 弘井文子 at 2013年05月10日 16:42
イランの人は、思いのほか日本に来て住んでいる人が多いので、日本で干し柿を見て「似ているな…」と思ったりすることは十分ありえることのように思います(ダルビッシュ有はイラン人と日本人のハーフでしたね確か)。
山寺さんの「思いつきの中にも作者像を…」というのは私にも耳が痛いです。
Posted by 松木 秀 at 2013年05月11日 04:21
松木さんの指摘は、日本での確率的には確かにそうですね。
その意味の場合は、私なら「日本に住むイラン人」などと正確に書きたいです。
「イランのひと」は。やはり「(イランに住む)イランのひと」という意味にとりたいです。その方が、イメージがイランの砂漠やオアシスにもおよびます。
Posted by 山寺修象 at 2013年05月11日 22:01
それぞれの民族が持つ文化や歴史が、果実を通して透けて見えるようで、共感を持ちました。
Posted by エリ at 2013年05月13日 09:13
ナツメヤシの干し実は干し柿の味に似るイランのひとは逆を思はむ
ナツメヤシの実は、紀元前6000年代からメソポタミアや古代エジプトで栽培され、デーツとよばれ、日本の棗とは全く異なる事を知りました。ナツメヤシは、コーランや旧約聖書、アラビアンナイト、ハムラビ法典にもかかれ、聖書の「生命の樹」のモデルといわれ古来から重要な史実にのこるものです。イスラム教徒はラマダン期間中の日没後まずはじめにデーツと牛乳を食します。
イラン産のドライフルーツのナツメヤシの実を食べ、はるかかなたの文化、古代叙事詩、砂漠の光景に思いをはせ、身近な干し柿の味に似ていると感じ、もしイランの人が干し柿を食べれば、デーツ(ナツメヤシの実)に似ているとおもうだろうというお歌です。
このお歌は、初めて異文化のナツメヤシの干し実を食べた時の事を詠っていると思うのですが、説明的ではなく作中主体の発見を通して文化交流している点が面白くとらせて頂きました。
六 九 五 七 七 の初句と二句が字余り三句から結句までは定型で、「この味なんだろう。も一口食べようか。何かなあ、あっそうだ、干し柿に似てる」という発見を大幅な音数オーバーで表して上手く詠われています。山寺さんがおしゃっているよう、定型のリズムにそって音読すると、三句以後が韻律よく着地します。また上の句と下の句が反転しているところや、「干し実は干し柿の」の「ほ音」の繰り返しも響きをよくしています。
今回初めて出会うドライフルーツで、この間デパートの試食でいただいてみましたが、エジプト産のフェアトレードのナツメヤシの実は、どちらかと言えば黒糖のような味でしたが、アンズの干し実を食べた後、もう一度ナツメヤシの干し実を食べた時、本当に驚きましたが、干し柿と似ていると思いました。
このお歌を詠み色々なことを知りはるかかなたの文明や景色がうかび詠みこむまでの時間をたのしく過ごせました。
Posted by 西五辻芳子 at 2013年05月15日 15:11
ナツメヤシの干し実は干し柿の味に似るイランのひとは逆を思はむ
前評でおおくの方がコメントされたように、読み返すほどに過不足の無い表現である印象を受けました。また、想いの広がりを感じさせるところにも、共感を覚えました。
イランは、私はイチジクのドライフルーツで馴染みがあります。大き目で黒っぽく柔らかいものと、小ぶりで白っぽく硬いドライフルーツとがあり、後者が好きで、時々買っています。それ以外に、イランの国との繋がりは、身近にはあまりありません。
作者は、ナツメヤシの干し実から、はるかなイランの人に思いを馳せます。その、直接はなかなか会うことのない、しかもごく普通の人、に想いを拡げたところが、とても魅力的です。
実は一読で?と感じたのは「干し実」の言葉でした。「ドライフルーツ」は聞きなれていますが、
「干し実」は、私には初耳でした。でも、繰り返し読むと、それはいかにも正確な表現であると感じ、
音にも魅力を感じました。
この「干し実」の表現と、結句「逆を思はむ」の人間を想うひろがりと深さに、心惹かれました。
Posted by 梶崎恭子 at 2013年05月21日 23:51
私が絶賛したのは吉岡さんの歌でしたか。
最近の歌は、やや軽いおもしろさをねらった歌が多いように感じていましたが、やはりとてもいいものをもっておられます。これからも私が絶賛したくなるような作品を読ませていただきたいです。
Posted by 山寺修象 at 2013年05月25日 17:23
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下句の視点が、特にいいのではないでしょうか。
ただ一つのマイナス点は、通販や辞書的な説明にも「干し柿のように甘い〜」「レーズンや干し柿の味を濃厚にしたような甘い味がする」などのように書かれているので、両者が似ているのは、すでにあたりまえすぎるとも言える点です。
しかし、この歌の肝要は、下句の視点にあるので、そのマイナス点は5パーセントくらいでしょうか。。
一応、絶賛しているつもりです。
文体のレベル的にかなりの技術を感じさせる作品です。
ここからは直接の批評を越えますが、この歌に何を加えていけるかというと、一首一首を思いつきで散漫な感じに作るのではなく、一首の作品の奥に、はっきりした作者像を感じさせえる作品を作り続けるころだとおもいます。作品に扱うすべての対象に対する真摯な姿勢が大切だとも言えます。この歌でいえば、自分と干し柿、自分とナツメヤシの干し実、自分とイランのひと、自分とイランなど、の一つ一つに対する真摯な姿勢が、結果として作品の奥にはっきりしたひとりの作者像を浮かび上がらせることになるのだとおもいます。
日本の「干し柿」は、「イランのひと」が普通に食べられるほどたくさんは輸出されていないような気もします。あくまでイメージの問題ですが。
ナツメヤシを知らないと「干し柿のようなものなの」から入っていきます。調べればわかりますが即詠の歌会の場合は手持ちの知識だけでやっていきますから、そういう場では「親切な」歌ですね。
私は鏡のようなイメージで、シンプルなのでそこは買います。
先行の山寺修象さんの評で、わたしには歌の背景まで読めないことが良く分かりました。
リズムは、初句が6音、二句が9音と大幅な字余りですが、3句以下が定型で、初句二句の字余り感をあまり感じさせずに、違和感なく、むしろ面白く読めました。
ふゆのゆふさんの評にある通り、シンプルで無駄のない点にひかれます。
山寺さんの「思いつきの中にも作者像を…」というのは私にも耳が痛いです。
その意味の場合は、私なら「日本に住むイラン人」などと正確に書きたいです。
「イランのひと」は。やはり「(イランに住む)イランのひと」という意味にとりたいです。その方が、イメージがイランの砂漠やオアシスにもおよびます。
ナツメヤシの実は、紀元前6000年代からメソポタミアや古代エジプトで栽培され、デーツとよばれ、日本の棗とは全く異なる事を知りました。ナツメヤシは、コーランや旧約聖書、アラビアンナイト、ハムラビ法典にもかかれ、聖書の「生命の樹」のモデルといわれ古来から重要な史実にのこるものです。イスラム教徒はラマダン期間中の日没後まずはじめにデーツと牛乳を食します。
イラン産のドライフルーツのナツメヤシの実を食べ、はるかかなたの文化、古代叙事詩、砂漠の光景に思いをはせ、身近な干し柿の味に似ていると感じ、もしイランの人が干し柿を食べれば、デーツ(ナツメヤシの実)に似ているとおもうだろうというお歌です。
このお歌は、初めて異文化のナツメヤシの干し実を食べた時の事を詠っていると思うのですが、説明的ではなく作中主体の発見を通して文化交流している点が面白くとらせて頂きました。
六 九 五 七 七 の初句と二句が字余り三句から結句までは定型で、「この味なんだろう。も一口食べようか。何かなあ、あっそうだ、干し柿に似てる」という発見を大幅な音数オーバーで表して上手く詠われています。山寺さんがおしゃっているよう、定型のリズムにそって音読すると、三句以後が韻律よく着地します。また上の句と下の句が反転しているところや、「干し実は干し柿の」の「ほ音」の繰り返しも響きをよくしています。
今回初めて出会うドライフルーツで、この間デパートの試食でいただいてみましたが、エジプト産のフェアトレードのナツメヤシの実は、どちらかと言えば黒糖のような味でしたが、アンズの干し実を食べた後、もう一度ナツメヤシの干し実を食べた時、本当に驚きましたが、干し柿と似ていると思いました。
このお歌を詠み色々なことを知りはるかかなたの文明や景色がうかび詠みこむまでの時間をたのしく過ごせました。
前評でおおくの方がコメントされたように、読み返すほどに過不足の無い表現である印象を受けました。また、想いの広がりを感じさせるところにも、共感を覚えました。
イランは、私はイチジクのドライフルーツで馴染みがあります。大き目で黒っぽく柔らかいものと、小ぶりで白っぽく硬いドライフルーツとがあり、後者が好きで、時々買っています。それ以外に、イランの国との繋がりは、身近にはあまりありません。
作者は、ナツメヤシの干し実から、はるかなイランの人に思いを馳せます。その、直接はなかなか会うことのない、しかもごく普通の人、に想いを拡げたところが、とても魅力的です。
実は一読で?と感じたのは「干し実」の言葉でした。「ドライフルーツ」は聞きなれていますが、
「干し実」は、私には初耳でした。でも、繰り返し読むと、それはいかにも正確な表現であると感じ、
音にも魅力を感じました。
この「干し実」の表現と、結句「逆を思はむ」の人間を想うひろがりと深さに、心惹かれました。
最近の歌は、やや軽いおもしろさをねらった歌が多いように感じていましたが、やはりとてもいいものをもっておられます。これからも私が絶賛したくなるような作品を読ませていただきたいです。