この記事へのコメント
この一首についても「四文字熟語」は何なのかよく分かりません。

下句をヒントに考えても、私の想像力ではスポーツか恋愛にかかわる陳腐な青春ドラマ的なものぐらいしか思い浮かびません。
この四文字熟語を特定するのは馬鹿馬鹿しくなってやめました。

しかしどうも「海岸で何かを叫ぶ」という行為からはスポーツか恋愛という青春ドラマ的な背景しか思い浮かびません。
そういうことを考えてもこの歌は面白くならない気がします。

「四文字熟語」を叫ぶという表現が何か変だ、それだけでいいと思いました。
「叫んでる」という表現から、作者は見ている側であるように思われました。
Posted by 光本博 at 2013年05月07日 07:31
光本さんの意見に真っ向反対になりますね。この際四文字熟語は何でもいいです、「自業自得」でも「弱肉強食」でも。(何でもいいというところがピントボケになりますが、ある程度の見当がつく気がして)

拳を握っているのですから、自らを励ましているのか、憤怒しているのか…「四文字熟語」には妙なパワーがありますが海に向かってでもないとこっぱずかしくて叫んだりできません。

作中主体が現在の作者だということではないかもしれません。妙な力が渦巻いている自分を時間経過の後存外冷静に見ているのかもしれません。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年05月08日 14:02
4文字熟語は下ネタ言葉という思い込みがあり当然その文脈でよんでいったのですがそうすると下句が分からなくなり、なにが言いたいのか つたわってきませんでした。
Posted by 青柳泉 at 2013年05月09日 23:54
下ネタとは考えたことないですね。「弱肉強食」テストで「X肉X食」Xを埋めて熟語にせよ、「焼肉定食」中学生から大学生の定番ネタで「月極駐車場」が読めないとか。

(コンバインをターンする空間などに、時期以外あってに車を止めるのが普通だったので、読めませんでした)

どっちにしても解釈が割れるというより、不能なんですね?ポイントはやはり熟語ですか。

もしかして、青柳さま、腰の拳から下ネタに引きずられたのでは、ありませんか、わからないだけですからできたらお答えください。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年05月10日 12:40
海に向かって叫ぶというのは、ものすごくベタなんだけど、読者に「四文字熟語」をゆだねた潔さの魅力で、とらせていただきました。
ただ、語調を整えるためとはいえ、「四文字熟語」は、ちょっと苦しい。普通は「四字熟語」ですよね。
拳握って叫ぶ「四文字熟語」って、なんでしょうかね。私は単純に「馬鹿野郎」と思いましたが(笑)。
Posted by 桑原憂太郎 at 2013年05月11日 17:52
私も作者が叫んでいる人を見ているのだと読ませていただきました。
「一期一会」とか「不言実行」とかありそうですが、「満身創痍」や「海千山千」だったら笑えますね。
Posted by 三田村まどか at 2013年05月12日 05:48
海岸で四文字熟語を叫んでる腰の辺りで拳握って

中学受験をめざす小学生が、必死に四字熟語を叫んで覚えようと、大声を出しても構わない海岸で拳握って練習している様子を詠ったお歌だと思いますが、なんだか、歌評でからかわれて作者は、困っていることでしょう。

確かに「四字熟語」を字数を合わせるために「四文字熟語」としたのかもしれませんが、
浅学非才な私がネットで検索しましたら普通に「四文字熟語」とでていますから、いいのではないでしょうか。ことわざや四字熟語を小学生の子供たちが覚えることは大変だと思いますが、ちょうどこの頃から自分で自律して勉強を始める頃で親離れしていく頃でもあります。海の近くにすむ子はいいですね。海にむかって大きな声で叫べるから。
情景がわかり四字熟語を叫ぶ様子を簡潔にあらわせているのでとらせて頂きました。
Posted by 西五辻芳子 at 2013年05月15日 16:33
この歌で問題なのは4文字熟語が効いているかどうかでしょうね。私は思わせぶりで好きになれませんでした。
Posted by 青柳泉 at 2013年05月16日 19:51
sふゆのさま
4文字言葉とよみちがえていました。すいません。
それにしても4文字熟語がなんであるのかはっきり詠ったほうがいいと思うのですが・・
趣味の問題かなあ。
Posted by 青柳泉 at 2013年05月18日 20:59
票を入れてくださった皆様、コメントを頂いた皆様ありがとうございます。今後の歌作の参考にします。

「四字熟語」とはそれほど歴史がある言葉ではなく、高島俊男氏が著作の中でいつの間にやら人口に膾炙していたような語であるように書いていました。ですから「四字熟語」も「四文字熟語」も意味の上での違いはありません。

本州から淡路島に渡るとき、高速舞子のバス停を過ぎて明石海峡大橋を渡ります。橋を渡りきったときにバスが左端のレーンを走っていて、左側の窓側に座っていると淡路島の北端に旅館のような建物が見えます。その北側の海辺にプライベートビーチと呼ぶにはあまりにも小さな砂浜が見えます。「あそこに立ったら、自分は何をするだろうか?」と考えたときの心象風景です。

僕は叫ぶ。ただ闇雲に言葉やうなり声を上げるのではなく、ピンポイントで気持ちを表すようにマシンガンのように四文字熟語を連射していく。「支離滅裂! 五里霧中! 四面楚歌! 一撃必殺! 二泊三日! 空前絶後! 先行逃切! 直線一気! 武豊復活!」 声が枯れるまで明石海峡に向かって叫ぶ。明石の空に夕陽が輝く。帰ろう。本来僕がいるべきところへ。帰ろう。僕の街へ。帰ろう。もういいじゃないか。帰ろう。

バスは観覧車がある淡路サービスエリアを通過していく。「そういや、あそこの眺めのいいスタバにも長いこと行っていないな。胃が痛いから珈琲はしばらくいいか。」

四文字熟語は海に沈めて、最寄りのバス停までのしばらく音楽を無心になって聴く時間が続く。

それを三十一音にまとめた、メモのような一首。
Posted by 伊庭日出樹 at 2013年05月28日 06:57