この記事へのコメント
事実をそのまま詠った歌と思いますが、今の小学生の実態はこうなんだと素直に受け止められる歌で好感を持ちました。
私は最初晴れの日は棟の違った子の家にも遊びに行くが雨の日は棟が違えば遊びに行かないと取ったのですが、いつでも棟が違えば遊びに行かないとも取れますね。
雨の日は通路までなら家から出て遊びのに出るのに違う棟にはいつも遊びに行かないと解釈した方が今どきの小学生をよく観察しているかもしれません。
もう身近に小学生が居ないので断定ができないのですが。
Posted by 海野 雪 at 2013年05月07日 21:34
私の実家は、いわゆる建売です。集合住宅と違うのですが(私事になりますが)私の学年が一番たくさんいたんです。小学生は。

雨の日は同級生の誰かの家で遊びました。

マンモス団地と言うのがあると聞きましたが(小学校が二つもある!)今、高齢化で買い物に行くのが大変であるという話です。

都会を目指した私たちが悪かったのでしょうか。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年05月08日 13:44
私は、マンモス団地というものを子供の頃ききました。その団地のために二つも小学校があるので驚きました。

でも、今は、高齢者が買い物に行くことができないのです。それでも子供がゼロではないと思います。いるのなら、どこでどう遊んでいるのか。遊び相手を探してさまよっているなら悲しみの極みです。

でも、親になる以前に結婚できない。そういう世代のしりをたたくのは無理です。無策です。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年05月08日 13:52
 この小学生達(複数だと読みました)がこの棟に住む子どもたちであるということを知っている作者。さらに違う棟には遊びに行かないという行動様式まで知っている。もしかしたら子どものだれかの親なのかもしれませんが、そうでなくても子ども達に注ぐ平らなまなざしが感じられました。
 一つの棟の中で完結する遊びの時間の閉塞とも充足ともつかない柔らかな曖昧さがそのままに静かに歌に写し取られています。
 実際はどうであれ、雨だから濡れるから他の棟に行かないと理屈で読むより、自分のテリトリーである棟と他の棟との心的な距離、自己と他者という区別に気付き始める小学生という年頃を詠んでいるとするとなかなか奥行きのある歌と思いました。
Posted by 吉岡馨 at 2013年05月09日 08:46
吉岡さんの前評で、読みが深まりました。

淡々とした調べの中に浮かびあがってくるモノトーンの映画のようなイメージ、
そして、このお歌のどこかかすかなもの悲しさをもつところに、惹かれました。

Posted by 梶崎恭子 at 2013年05月13日 12:19
団地育ちの僕にとって、この情景は身近です。「棟」はひとつの大きな家のように思えた小学生時代。「棟」を飛び出していく中学生時代。「棟」いうことばに懐かしさを感じます。自分にとってはノスタルジックな一首。
Posted by 伊庭日出樹 at 2013年05月15日 07:34
実景ですが集団登校(平成の前から、もっともっと前からしていました)では棟ごとに集まります。

2棟全300近い世帯が入っていますが、このところ65歳以上の年齢の割合が激増しています。子供会(小学生)の廃品回収も、毎月実施できなくなりました。

それでも子供は遊びます。まず自分の家のそばですが、学齢になると同じ棟の中に同じ学年の子を見つけ、似たような年齢で遊んでいます。

雨、だからだと思っていましたが心的距離ですか。そういえば高学年の子供は児童公園へ行きますね。更に広い遊び場と仲間が必要なんですね。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年05月30日 01:49