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第15回ネット歌会詠草/15
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第15回ネット歌会詠草/13
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2013年05月01日
第15回ネット歌会詠草/14
かなしみにさらわれぬよう人の死は腹立つほどに忙しくあり
【選歌集計結果=8票】
【投票者=海野 雪/太田賢士朗/桑原憂太郎/さとうひろこ/永井秀幸/庭野摩里/藤原龍一郎/三田村まどか】
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posted by 短歌人会 at 00:14|
Comment(11)
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第15回歌会
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この記事へのコメント
自分に近い人の死ほど忙しくなり、悲しみに浸っているひまも無いというのは経験上その通りで、それは悲しみに攫われないための神の采配であろう、といったことをどこかで読んだことがあるような気もしますが、そのことを定型ぴったりできちんと詠まれていて良いと思い選ばせていただきました。
「腹立つほどに」が効いていると思います。
Posted by 永井秀幸 at 2013年05月07日 16:52
身内が亡くなったときは仏事・諸手続きに追われ悲しみに浸っている暇もなく、ある意味それで救われているのかなと思うのは身内を亡くしたことを経験した人はだれでも感じることで、多くの人が共感する歌だと思います。
「腹が立つほどに」はとても忙しいことを言っていると同時に、本当はしみじみ個人を偲びたいのにそれができなくて腹が立つという気持ちも表しています。
仏事・手続きに忙しいと救われる面と、形式的な行事その他に追われて本当の心情から離れる面と相反するものがある気がします。
義父を見送って1年・・そんな心境でいたので深くうなずいた歌でした。
Posted by 海野 雪 at 2013年05月07日 21:21
身内が亡くなったときは仏事・諸手続きに追われ悲しみに浸っている暇もなく、ある意味それで救われているのかなと思うのは身内を亡くしたことを経験した人はだれでも感じることで、多くの人が共感する歌だと思います。
「腹が立つほどに」はとても忙しいことを言っていると同時に、本当はしみじみ個人を偲びたいのにそれができなくて腹が立つという気持ちも表しています。
仏事・手続きに忙しいと救われる面と、形式的な行事その他に追われて本当の心情から離れる面と相反するものがある気がします。
義父を見送って1年・・そんな心境でいたので深くうなずいた歌でした。
Posted by 海野 雪 at 2013年05月07日 21:25
成人して最初の葬儀は叔父でした、しかし、このときは兄たる父達がばたばたしていて、通夜と葬儀に猛烈な嵐(台風ではない)だったのと残されたいとこたちに心痛みました。
中学二年の時に祖父を亡くしていますが学級副委員長としてお父さんを亡くした子二人のうちの、学校から近い方に行きました。参列した大人のうわさに委員長と「そんなことない!」「大人は…汚いな」学校に帰るとき話していました。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年05月08日 13:14
私も最近、葬儀や手続きの煩わしさや忙しい事を体験し、たしかに腹立たしく感じました。
『かなしみにさらわれぬよう』という表現、特に『さらわれる』が良いなっ!と思いました。
Posted by 三田村まどか at 2013年05月11日 14:42
一読、そうだよなあ、と共感できましたので、とらせていただきました。
もちろん、「人の死」というのは、身内の方の死を指しているのであり、そういう背景が一読でわかるのも、この歌の力なのだと思いました。
Posted by 桑原憂太郎 at 2013年05月11日 18:03
こんな風に簡潔にまとめられた力量に感心いたしました。「さらわれぬよう」と「腹立つほどに」という平凡な言葉で、身内の死という非日常の雰囲気と高ぶる気持ちがが表現されていて、経験あるものとして共感を覚えました。
Posted by さとうひろこ at 2013年05月11日 23:54
かなしみにさらわれぬよう人の死は腹立つほどに忙しくあり
伯父の四十九日が終わってどっと喪失感がましているので、なるほどなあと端的に
よく詠めているお歌だと感心し、とろうかと思ったのですが、それゆえとれませんでした。
不思議です。かなしみにさらわれているのかなあ。
Posted by 西五辻芳子 at 2013年05月16日 01:53
かなしみにさらわれぬよう人の死は腹立つほどに忙しくあり
身近で人がなくなり、葬儀などの準備に追われている人の実感が、的確に歌われていると思います。
「かなしみにさらわれぬよう」という見方に、作者が気持ちが込められていると感じます。
あえて言えば、一首で完結していて、余韻のようなものが感じられないのが残念な気がします。
Posted by 太田賢士朗 at 2013年05月23日 09:20
全体として、作者の実感には共感できます。
太田さんと同感です。2句目までで理由を言っているところが、歌を理窟にしているのだとおもいます。(これは子規の受け売りです。)
「人の死は」と、一般論にしているのもマイナスのようにおもいます。そのときのことだけを一首にした方が、いい作品になる可能性が高いです。
「腹立つほどに」も、直接は、言わない方がいいのではないでしょうか。
Posted by 山寺 at 2013年05月25日 08:26
前回のコメントがフルネームになっていませんでした。すみません。
Posted by 山寺修象 at 2013年05月25日 08:28
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義父を見送って1年・・そんな心境でいたので深くうなずいた歌でした。
「腹が立つほどに」はとても忙しいことを言っていると同時に、本当はしみじみ個人を偲びたいのにそれができなくて腹が立つという気持ちも表しています。
仏事・手続きに忙しいと救われる面と、形式的な行事その他に追われて本当の心情から離れる面と相反するものがある気がします。
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もちろん、「人の死」というのは、身内の方の死を指しているのであり、そういう背景が一読でわかるのも、この歌の力なのだと思いました。
伯父の四十九日が終わってどっと喪失感がましているので、なるほどなあと端的に
よく詠めているお歌だと感心し、とろうかと思ったのですが、それゆえとれませんでした。
不思議です。かなしみにさらわれているのかなあ。
身近で人がなくなり、葬儀などの準備に追われている人の実感が、的確に歌われていると思います。
「かなしみにさらわれぬよう」という見方に、作者が気持ちが込められていると感じます。
あえて言えば、一首で完結していて、余韻のようなものが感じられないのが残念な気がします。
太田さんと同感です。2句目までで理由を言っているところが、歌を理窟にしているのだとおもいます。(これは子規の受け売りです。)
「人の死は」と、一般論にしているのもマイナスのようにおもいます。そのときのことだけを一首にした方が、いい作品になる可能性が高いです。
「腹立つほどに」も、直接は、言わない方がいいのではないでしょうか。