2013年05月01日

第15回ネット歌会詠草/7

ジャンケンのパーしか出せぬ子を乗せて車でひたすら 海までの距離

【選歌集計結果=5票】
【投票者=青柳泉/北島裕子/さとうひろこ/照井夕佳詩/松木秀】
posted by 短歌人会 at 00:21| Comment(8) | 第15回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「パーしか出せぬ」からこれは人間の子供ではなく、ペットではないかと思いました。
しかし犬や猫の手の形はパーなのかグーなのかよく分かりません。
そこでペットと特定することには自信が持てません。

いずれにせよジャンケンでパーしか出せないのでは、作者だけではなく、この子も面白くないでしょう。
車でひたすら海まで走るのは、ジャンケンでパーしか出せない、気分転換の遊びすらできない「子」(ペットと決まったわけではないが)にとってはさぞかし退屈だろうなあ、と同情しているように読めました。

作者が車を運転しているのか、そうではないのかについては分かりません。
Posted by 光本博 at 2013年05月07日 07:27
「ジャンケンのパーしか出せぬ子供」は、光本さんのおっしゃるようにペットなのか、なにか障碍があってパーしか出せないのか、まだ赤ん坊でパーしか出せないのか、など様々な解釈が可能な様に思われます。

そして一字あけで「海までの距離」も、歌として心地はいいですが、結局何が言いたいかさっぱりわかりません。

それでも私が票を入れたのは、雰囲気だけの唄もあってもいいじゃないか、という持論によります。この歌、意味以前に気持ちがいい。私は作者が車を運転しているととりました。
Posted by 松木 秀 at 2013年05月07日 17:58
選歌そのものをしておりませんでした。私は自身の回想があったので乳児に近い幼児、これも読みの邪魔ではありますが一首の共感力を持つという点ではプラス。

読みが収束するか、拡散するか。今のところ拡散する方向へ行きそうです。私にはよくわかりません。プラスかマイナスかが。

Posted by ふゆのゆふ at 2013年05月07日 18:55
ジャンケンノグーしか出せぬ子供は障がい児ととりました。そこでたまに海まで遠出するのだと思いました。(海までの距離>に解放感を感じたからです。
短歌っていろいろなふうに読めるものですね。
Posted by 青柳泉 at 2013年05月08日 12:21
ジャンケンのパーしか出せない子はやはり障がいがあるのかなと思いました。愛してやまない子のために、なんとかして喜ばせたいという必死な気持ちが感じられます。1字空けての「海までの距離」は遠いのだろうなと思います。
Posted by さとうひろこ at 2013年05月12日 00:16
「無意識のうちにじゃんけんをすると、人間はパーを多く出す傾向にある」ということを聞いたことがあります。ちょきは2本指を立てて残りを畳む。グーは5本の指を握る。意思があって出せる選択。何も考えないとパーを出してしまうものなのです。素直な子で、駆け引き無しにじゃんけんをしてしまう純粋な子供。駆け引きなんて必要じゃなかった時代を想います。
Posted by 伊庭日出樹 at 2013年05月12日 15:54
ジャンケンのパーの読み間違い。間さん、すいません。
Posted by 青柳泉 at 2013年05月25日 19:56
 じゃんけんについての伊庭さんの書いておられることは、ほぼ当たっています。
 正確には、最初に出す確率がパーを出す確率が一番高いということだったとおもいます。理由は、「最初はグー」と言っても言わなくても「ジャンケン」と言っている時に、ほぼ全員が、グーの形の状態にしており、「その形を変えたい」「握りしめているので開きたい」という願望が働くので、より違う形のパーを出す人が多いのではないでしょうか。ちなみに二人でジャンケンをしたら、最初はチョキを出した方が勝つ確率が一番高いです。
 次からは、「直前に駕した形を変えたい」という願望が働くので、勝つ確率を高くするためには、相手が出した残りの2つのうち、勝つ方をいつも出した方がいいです。
 あくまで、純粋に確率の問題です。
 相手が、頭が良くて、そんなことは朝飯前というタイプの人には通用しません。
Posted by 山寺修象 at 2013年05月28日 01:13