2013年05月01日

第15回ネット歌会詠草/5

つながるる桜桃ふたつそのままに口に含みてもてあそぶ夜

【選歌集計結果=2票】
【投票者=青柳泉/西五辻芳子】
posted by 短歌人会 at 00:23| Comment(7) | 第15回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
四句めまでが官能的な雰囲気を醸し出しています。

そこは魅力的なのですが、結句の「夜」は必要なのかどうか疑問を感じています。

ここまで言えばそれはもう夜というのはほとんど必然だろう、と思いつつも、このままでは時間の設定が不明なので「夜」と言わざるを得ないのではないか、そのようにも感じられます。時間設定は「夜」でなくてもいいし、そもそも時間が必ず必要というわけでもないと思いますが、では代わりに何を言えば効果的かということについては私には分かりません。

気になる一首ではあります。
Posted by 光本博 at 2013年05月07日 07:26
この歌、面白いと思い、私もとらせていただきました。なにが面白いかというと桜桃をつながったまま口にふくむというところ、とても官能的ですね。ここまでいえば(夜)は必然だろうという光本さんのご意見、それはそうですが
やっぱり(夜)はだめおし的に効いているいると思いますよ。
Posted by 青柳泉 at 2013年05月07日 10:57

この歌、とても面白いと思いとらせていただきました。桜桃をつながったまま口にふくむという表現、とても官能的。
時間は当然(夜)だろうのご指摘、それはそうですが(夜)と止めるのは効いていると思います。(あの夜)かもしれませんし 。
Posted by 青柳泉 at 2013年05月07日 11:08
今回発熱で選歌をせず、申し訳ないです。前評の方々におなじですが、ふと「桜桃忌」を思い出しました。「桜桃」の中で「子供より親が大事」という言葉が出て来ますが、ここには子供のにおいがしません。そこはかとなく今世紀的だなと。

余談ながら私、中学生の頃「サクランボの軸を口で結びながら食べることができるとキスが上手になる」ということをガールズトークでしていました。実際は交換日記のレベルですが、これだってラッキーな方です。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年05月07日 12:40
つながるる桜桃ふたつそのままに口に含みてもてあそぶ夜

桜桃といえば、太宰治を連想しますが、悲愴感は感じない横恋慕の相聞歌。
熟練したお歌です。
淡路島の馭盧島神社(おのころじま神社)にお参りした時につながったサクランボのお守りがあり、鈍感な私は、どうしてサクランボのお守りがあるのか、お伺いしましたところ、縁結びの象徴と知りました。なるほど二つ繋がっていますね。
作者は、仲のよろしい恋人達か、御夫婦かここではわかりませんが、その異性が好きなのでしょう。何も出来ない自分を揶揄したお歌です。
昔の題詠には、複雑な条件のついた相聞のお題がありますが、その現代短歌版といえるかもしれません。実に面白くとらせて頂きました。
本当に深刻に恋うお歌でしたら、御免なさい。
レモンスカッシュを飲んだ後底に残ったサクランボの缶詰の実を口に含んで食べた後ぬっと舌をだし軸が結ばれているのを親しい女子の友人が黙って見せてくれた時の驚きを思い出しました。大学生の頃の記憶です。
Posted by 西五辻芳子 at 2013年05月15日 17:32
初句「つながるる」は語法として変な感じがするのですが、いかがでしょうか。現代語に訳すと「つながれる」(受身)で、元々離れていたもの(この歌の場合は、桜桃の軸と軸)が改めて「つながれる」というような意味になってしまうと思います。「つながっている桜桃ふたつ」ということを言いたいのであれば、別の言い方をしなければならないのではないかと思います。
Posted by 大室ゆらぎ at 2013年05月18日 15:42
「桜桃」といえば、小学校の給食で出た甘い「おうとう」を思い出します。口の中でもてあそぶには、もてあそぶだけの集中力が要ります。そのことだけに集中しないで油断すると、口から飛び出てしまいます。夜は不思議な空間を生みます。屋外の暗闇の中、室内の灯の下。どちらでしょうか。僕はPCに向かい合いながら何かを考えたり、考えるのを止めたりする情景を想像しました。
Posted by 伊庭日出樹 at 2013年05月18日 19:06