この記事へのコメント
「ぼしゆん、ぼしゆん」という、くしゃみの擬音語がおもしろいと思いました。春も終盤に入り、夏へ手が届きそうなところまで来ているのに、ちょっとした油断で思わずくしゃみをしている。そのくしゃみが「暮春、暮春」と春の終わりを告げているかのようです。ただ、初句の「晩春」にちょっと付き過ぎな感じもして、上の句にもう一工夫在ればよかったかな、とも思いました。
Posted by 加藤隆枝 at 2013年05月11日 22:53
ぼしゆんという擬音語が、ちょっと重いくしゃみを想起させて、この歌の核心部分となっている。「へくしょん」「へぷち」ほど軽くはなくて、深いくしゃみなのだ。
Posted by 伊庭日出樹 at 2013年05月12日 09:47
一読して、高野公彦『河骨川』(2012年)所収の次の作品に似ていると思いました。

くしやみしてそのあと季春(きしゆん)、杪春(べうしゆん)といふ語を思ひ出しゐたりけり

かっこ内はルビで、「季春」「杪春」共に、春の末を表すことばです。
詠草2の場合、冒頭の「晩春」を言わずに「ぼしゆん、ぼしゆんと」だけで「晩春、暮春」であることを表現出来ていたら良かったのではないかと思います。
しかし、高野公彦の作品に見るように、あるいは同発想の先行作品があるかも知れません。
Posted by 大室ゆらぎ at 2013年05月18日 08:37
付け加えます。先のコメントで「冒頭の『晩春」を言わずに…」と述べたのは、その代わりに初句に何か晩春の景物(例えば「・・・咲く」とか)を入れる方法もあるのではないかと思ったからです。
Posted by 大室ゆらぎ at 2013年05月18日 14:12
加藤様、伊庭様、大室様、この度はコメントをいただきありがとうございました。

先日くしゃみが本当に「ぼしゅん、ぼしゅん」と聞こえ、そのことを冗談っぽく詠ってみようと思いました。

私としてははじめから「晩春」と「暮春」を引っかけた駄洒落のつもりで、「晩春」と言っておかないと「ぼしゆん、ぼしゆん」も通じないと思っていたのですが「具体的な何か別のこと」を詠むとよいというご意見は参考になりました。もっとも駄洒落では付きすぎと言われてもしかたがありません。

高野さんに大室様のご紹介のような歌があったことは存じ上げませんでした。私はむしろ古今集の

梅の花見にこそ来つれ鶯のひとくひとくと厭ひしもをる

のような歌を漠然と意識していました。

Posted by 光本博 at 2013年05月27日 07:34