2013年08月01日

第16回ネット歌会詠草/26

痩せにくくなりし身体を湯のなかにひらけば庭の石と連なる

【選歌集計結果=2票】
【投票者=木嶋章夫/竹田正史】
posted by 短歌人会 at 00:01| Comment(4) | 第16回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とても好きな歌で、もっと点数が入るだろうと思っていた歌です。
作者の家ではお風呂につかりながら庭が見えるのだろうと思います。とても羨ましいです。素敵ですね。
少し歳をとって痩せにくくなってきている作者がお風呂に入る。身体を湯のなかに「ひらく」という表現、とてもいいと思います。
お風呂から庭の石が見えるのですが、作者は太ってきているせいか、その石と自分自身が似通ってきていると感じます。
「連なる」がとても効いていると思うんです。ここはたとえば「並ぶ」とかでは弱いと思うんです。似通ってきているんですね。
単なる自虐では終わらない深さを感じます。自虐よりもむしろ、庭の石に対する親近感のようなものが感じられてくるのです。
Posted by 木嶋章夫 at 2013年08月08日 21:48
入浴をしていることと「庭の石と連なる」ことの間に飛躍があって、意味を理解しづらかったのですが、その私にとっての分かりづらさを評価したいという気もありました。

身体を湯の中にひらく、疲れた身体がほぐれていく実感がありますね。その痩せにくくなった身体で庭石を踏んできたのでしょうか。息があがったのかもしれません。木嶋さんに分かりやすく評をしていただいて大変参考になったのですが、お風呂から庭の石を見ているところまでは思い至りませんでした。むしろ、大変な思いをして庭石を踏んできたことが、お風呂の中でほっとしつつ思い出された、ということではないかと思われました。庭の石と連なるのは作者の思いではないかという気がいたします。

木嶋さんは庭の石と作者の身体が似てきつつあるとお考えなのですね。確かに身体が思うように動かず、石になりつつあるようだ、という思いを抱くこともありうるかもしれません。

また、私は庭の石は飛石のようなものと考えたのですが、それを「並ぶ」と表現したのでは説明で、やはり実感としては「連なる」ではないかと思います。

気にはなったものの票を入れるには至らなかったこの歌について、改めて考える機会を得られてありがたく思います。
Posted by 光本博 at 2013年08月09日 00:53
とても良い作品だと思いとらせていただきました。
私は、温泉の露天風呂の景色ではないかと思いました。庭の見える露天風呂で体を伸ばしいつもと違う開放感に浸っている。その開放感とは身体感覚が庭の石まで連なっているようだと。(痩せにくくなりし身体)という現実的な感覚から(庭の石と連なる)という超感覚的ものまで意識を広げたことも成功していると思います
Posted by 竹田正史 at 2013年08月10日 18:55
>痩せにくくなりし身体を湯のなかにひらけば庭の石と連なる

竹田正史さんがお書きのように、わたしも露天風呂だと思いました。
「痩せにくくなりし身体」ですので、ややぽっちゃりしつつあるのでしょう。そして湯につかってふぅっとした感じが「ひらけば」によく表現されています。湯に沈むと目線は積み石の高さで、「連なる」も効いています。人間の身体の温みや柔らかさと、石の冷たさや硬さとが対比されています。
露天風呂に行きたくなりました。
Posted by 弘井文子 at 2013年08月11日 08:09