2013年08月01日

第16回ネット歌会詠草/20

山峡のダム湖のあをき水の面を蛇過ぎりきりつ二分がほどに

【選歌集計結果=6票】
【投票者=木嶋章夫/桑原憂太郎/さとうひろこ/竹田正史/三田村まどか/村田 馨】
posted by 短歌人会 at 00:07| Comment(9) | 第16回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
緑に囲まれた湖の水面を一匹の蛇がスーッと泳いでゆく映像が鮮やかに見える一首です。まるで自分が遭遇した場面のように思えて、いただきました。
Posted by さとう ひろこ at 2013年08月07日 11:15
この光景を目にしたら、きっと2分間凝視してしまいそうです。湖ではなくてダム湖というところがドラマチック。

4句めの『過ぎりきりつ』は「(ダム湖を)横切り渡りきった」のような意味なのでしょうか?

Posted by 三田村まどか at 2013年08月09日 16:25
水力発電のダムではなく、灌漑・治水用の小さなダムとして読みました。
春から夏にかけて治水用に溜められたダム湖の水面をゆうゆうとゆく蛇に景色の美しさと、蛇という生き物がもつ独特の生々しさを感じ良い作品と思いました。最初に「二分がほどに」が説明的と思いましたが、ダム湖の広さ(あまり大きくない)、作者の立ち位置(時間に余裕がある、比較的近くから見ている)などが読みとれて成功していると思いました。
Posted by 竹田正史 at 2013年08月12日 22:15
 灌漑・治水用の(小さい)水たまりは、ため池、灌漑(池)とか、つつみとかいうのではないでしょうか。
 「山峡のダム湖」はやはり、水力発電用のある程度大きいダムをイメージします。
 そんなダム湖を蛇が渡りきるまでずっと肉眼で見るのは、特に向こう岸まで見るのは距離がありすぎて難しいのではないでしょか。そこが不自然な気がします。
  作者が日本野鳥の会とかの会員で、いつも持ち歩いている高性能の双眼鏡で見たのなら別ですが。あるいは都会発の「自然観察会・散策会」等に参加された時なら、双眼鏡も持っていても不思議ではありませが。
 こまかくいえば「あをき(水の面)」「(きり)つ」「〜がほどに」は、慣用句的、「ぬ」の方がよい、すこしうるさい表現になっている、ようにおもいます。
 悪くばかり書いているようですが、比較的いいとおもった歌について批評を書かせてもらっています。
Posted by 山寺修象 at 2013年08月14日 11:32
とても美しい歌だと思いました。好きな歌です。
最初、僕も竹田さんと同じく「二分がほどに」が少しだけ気になったのです。
幻想的な美しさのなかに、数字というとてつもなくリアルなものがはいってきたことに、個人的にはやや違和感を感じたのです。リアルさを演出するための言葉に違和感を感じたということに自分でも驚いています。
しかし「二分がほどに」がなかったらこの歌の魅力は半減するように思われますし、ほかの言葉では代えがきかないように思われるのです。
とてもいい歌だと思っています。
Posted by 木嶋章夫 at 2013年08月20日 21:49
ダム湖という人工的ななかに、野生の蛇が泳いでいくというコントラストが面白いと思いました。
私は、残念ながら蛇が水面を泳いでいる場面に遭遇したことはありませんが、美しい情景だろうなあと想像しながら読ませていただきました。
Posted by 桑原憂太郎 at 2013年08月23日 16:19
問題の「二分」を読み間違えていました。ダム湖を二分していくんです。現実離れした読み違えになってしまいましたが、おろちの民話がやたらあるところで子供時代過ごしたのでダム湖にもおろちがいておかしくないのではないかってね。

読み違えたほうがスケールが膨らむよーなんて、言って、退場します。恥ずかし。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年08月23日 18:52
蛇が水面を泳ぐのは幻想的ですが、私は湖上の波面がわたる様子の比喩として読みました。自然の美しさと二分という具体がよかったかと思います。
Posted by 村田馨 at 2013年08月25日 10:24
僕としてはこんなに支持があった(票が入ったの)は初めてなので嬉しく驚いています。(いつもは1、2票くらい、前回は0票でした)
竹田さんが書かれているように治水用のダムで幅150メートルくらいでしょうか。そこを蛇が一気に(かなり速いです)渡り切るところに目にして出来た歌です。
支持してくださった方、評を書いていただいた方、本当にありがとうございました。
Posted by 永井秀幸 at 2013年08月27日 16:33