この記事へのコメント
年老いた母親と離れて暮らす子が、久しぶりに訪ねて行った時の場面ですね。老健施設でのことかましれません。かつて母の大好物だった水まんじゅうを手土産に持って行った子の期待に反して、母の素っ気無い反応が、チクリと子の心を刺したのではないでしょうか?親の老いと時間の経過でかつて共有したこころの交流をもはや持つことはできないのか・・・そんな寂しさが伝わってくる一首です。
Posted by さとう ひろこ at 2013年08月07日 11:04
私はさとうさんと違って一人暮らしのお母さんのもとへ、水まんじゅうを届けた、とても喜んでくれたととりました。こんなふうに意見がわかれるのは(水まんじゅうか)の(か)をどうとるかによるのでしょうね。私もひっかかりました。(ね)でいいのではないかと。
でも(ことのほか母はよろこぶ)とあるのでね・・素直にとると現在も喜んでいると思いますが・・・
後結論的部分が先にでると興味がそがれると思います。
でも水の題から水まんじゅうと連想がとんだことを評価させていただきました。
Posted by 青柳泉 at 2013年08月09日 12:33
この歌をよく読めば青柳さんの解釈のほうが妥当かもしれませんね。「水まんじゅうか」の「か」をがっかりの気持ちと取りましたが、笑顔を想像すれば詠嘆の「か」かもしれませんね。「ことのほか母はよろこぶ(はずの)「いいもの」と自分が思っていただけであったと、ひねくれた解釈をしました。読み手の心理によってはこんな正反対の意味にも取られることがあるのですね。作者の方の気持ちと真逆に取っていたら、失礼をお許しください。
Posted by さとう ひろこ at 2013年08月29日 23:03
じっくりとお読みいただいたコメント、ありがとうございました。
結論から言うと、母は水まんじゅうをとても喜んでくれました。単純に母親が水まんじゅうを愛でる歌として、

  ことのほか母はよろこぶ「いいもの」と言いて差し出す水まんじゅうを

のほうが、調べもおさまりもいいとは思ったのですが、ちょっとこだわりがあって、他の方のご意見を参考にしたいと思い、投稿歌のような字余りになってしまいました。実は、まだ水まんじゅうを見せない状態で「いい物あげる」と声をかけたのですが、それに対して「水まんじゅうか?」と母の顔は輝きました。顔中に喜びを表した母の童心に心打たれたのと同時に、母にとってのいい物というのが水まんじゅう(程度のもの)なのか…、という複雑な思いがしました。
そのあたりの複雑な思いも詠み込みたかったのですが、うまく気持ちがしぼれなくて伝わりにくかったようですね。コメント、参考になりました。ありがとうございました。
Posted by 加藤隆枝 at 2013年08月31日 08:24