この記事へのコメント
作者はとてももどかしいことでしょう。水中では言葉を発することはもちろんできませんが、体を動かすのもままなりません。世の中そのものが身動きの取れない窮屈さをもっている、みな水の中でもがき苦しんでいるようなものだ、というようにも読めました。私事で恐縮ですが、パソコン操作の電話サポートをしていたことがあります。まさにこの一首に詠まれているような困難を覚えました。
Posted by 光本博 at 2013年08月07日 20:15
もどかしさを水中の会話ととらえたところが新鮮に感じました。水槽の金魚がぱくぱくと話をしているようにも見えます。具体的な場面でもよかったかも。
Posted by 北島裕子 at 2013年08月14日 14:04
>水中の会話のように通じえぬことはめぐりにいくらもありぬ

相手が何か言っていることが、どうにも伝わってこないもどかしさが「水中の会話」によく表現されています。北島さんの「水槽の金魚がぱくぱくと」に、ほんとうだ、と共感しました。

三句はどうしても強く切れますので「通じえぬ」と「こと」が途切れる感じがして、「こと」がやや強くなり、少しばかりぶっきらぼうに響きますが、それが却って良いのかもしれません。
Posted by 弘井文子 at 2013年08月15日 11:03
詩は喩の世界。ようにとかごときは使わないように、と歌友にアドバイスされたことがある。
そのアドバイスは1番よいアドバイスだったと今もおもっている。
めぐりにいくらもありぬ と感じていらしゃるなら、その具体を書くべきではないかとかんじました。つまり具体がないので伝わるものがすくないと思います。
いくらのひとつを取り上げればよかったのにと思います。
Posted by 青柳泉 at 2013年08月15日 21:04
昨日のコメントについて。(ように)は絶対だめということではありません。なるべく使わないほうがという意味です。ちょっと偉そうなこと書きすぎました。
作者の方、ごめんなさい。
Posted by 青柳泉 at 2013年08月16日 11:47
上記、光本さん、北島さん、弘井さんとほぼ同じ読みで良い歌と思いました。ただし四首目で選べなかったのは残念でした。
Posted by 永井秀幸 at 2013年08月20日 16:33