2013年08月01日

第16回ネット歌会詠草/11

十六時物音ひとつない部屋にひたすら猫の水を飲む音

【選歌集計結果=5票】
【投票者=青柳 泉/秋田興一郎/清郷はしる/照井夕佳詩/三田村まどか】
posted by 短歌人会 at 00:16| Comment(7) | 第16回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
タップ、タップとリズミカルに猫が水を飲むときにたてる音。猫好きにはたまりません。
午後の4時という中途半端な時間も猫らしい。
Posted by 三田村まどか at 2013年08月09日 15:54
猫が水を飲む音はあるので、二句の表現と矛盾するのだが、初めに音が無いと言うことで、
後から出て来る音が鮮明になるという効果を持つ。
Posted by 秋田興一郎 at 2013年08月09日 18:36
この歌、いい歌だなと思ったのですが、まさに秋田さんが書いておられるような理由で、票を入れなかったのです。
つまり、猫の水を飲む音はあるのに、物音ひとつない、と書かれている矛盾についてです。
秋田さんのように読むのが正しいのかも知れません。しかし表現上どうしても気になってしまいました。
「物音ひとつない」という表現を、似たような意味の別の言葉にしてみたらどうかと思っていたのですが、それでは魅力が半減してしまうでしょうか?
Posted by 木嶋章夫 at 2013年08月12日 19:08
私は木嶋さんと違い、物音ひとつないという
表現、変だとは思いませんでした。つまり
物音ひとつない空間に猫がきて、水を飲みはじめたというふうに読めたからです。
時間の経過が感じられたからです。
それより16時より午前4時のほうがいいのになあと思いました。ほんとに4時に目が覚めると物音ひとつないからです。
Posted by 青柳泉 at 2013年08月14日 22:06
僕も時間の経過があるのかな、と考えました。
しかし最初に「十六時」と時間が書いてあることで、時間の経過があるように読みづらくなっているところが少しあるのではないかとも思ったのです。
Posted by 木嶋章夫 at 2013年08月20日 22:06
まず、絵を描くキャンパスが白い様に「物音ひとつない部屋」という無音の空間を持ってきておいて、そこに「猫の水を飲む音」を描きだしたのではないかとおもいました。
十六時という少し半端な時間も情緒があると思います。
Posted by 清郷はしる at 2013年08月21日 22:12
実際に猫がいたのですが部屋の位置によっては16時だと生活音というものがあるんですね、田舎なのでせいぜい布団をはたく音とか遠くの道から車の音とか。

浴室の洗面器から水を飲む猫の水飲む音はよく聞こえます。でも、プラスチックのお菓子を入れるようなおもちゃっぽい皿で飲んでいる子猫のは聞こえません。器に頭がつっかえて鳴いている方がよく聞こえました。

だから午前四時がいいかというと大人の猫はドタバタせず人間が起きるまで寝てますね。子猫と一才になったばかりの猫、計三匹の時は運動会していて人間が起こされました。

でもそういうリアルな問題かというとアバウトなアンニュイが出るのは午後。未明の静けさが際立つのは午前。作者次第ですね。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年08月24日 18:33