この記事へのコメント
まだ未熟な教師が自分のこなさねばならない課題に目を奪われて、生徒たちを熱中症にかからせてしまったということでしょうか?天候も環境も、臨機応変に対応を迫られる場面が多くなっている最近ですが、教育現場でも応用力を持った教師が必要なのでしょうね。
Posted by さとう ひろこ at 2013年08月07日 10:33
選ばせていただきましたが、「教科」という言葉にちょっと戸惑いました。確かに体育も教科ですが。自分が生徒だったころ、授業(体育)で水を飲んだ記憶はありません。盛夏なら水泳ですので別の意味で水を飲んでいますが。

今、実際体育の授業中に水を飲む時間があるんでしょうか。(水泳でないとして)

否定的なことを書きましたが、佐藤さんと意見はほぼ重なります。

Posted by ふゆのゆふ at 2013年08月07日 18:23
>一滴の水も与へず走らせて夏の教科をこなさむとせし

授業時間中の熱中症が報道されることが増えてきたここ数年です。
歌は、気温の状況や生徒らの状態を見ずに授業日程を消化することしたみていない指導者、を詠っています。「教科」とありますので、部活やスポーツクラブの活動ではないでしょう。
確かに、そう言う無自覚な者もいるでしょうけれど、注意を払っていても、昨今の異常高温を読みきれず、生徒を消耗させてしまうこともあるでしょう。
指導をされる方の大変さを感じる昨今です。

ふゆのゆふさんが書かれたことについてですが、実際に長距離走やサッカーなどで走っている最中は水は飲めないんじゃないかな。授業ですから、マネージャーがついている訳じゃないし。ただ、小休止の合間に水をのむことはできるでしょうけれど。
Posted by 弘井文子 at 2013年08月10日 10:35
授業でなくっても、何か運動しているうちは水を飲むとへばるっていわれていました、生徒の頃は。それに給水しないと熱中症で死んでしまうという生徒もいて、今と昔は違うのだと教師が考えねばならない、水一つでもそうなのだということですね。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年08月13日 17:32
 作文ではなく短歌なので、「一滴の水も与えず走らせて」というのは、そのままの表現ではなくて、ゆるく比喩的に使われているとおもいます。
 中学や高校の夏季勉強合宿の場面をそう表現してあるとおもいます。教科も体育ではなく、英語や数学や物理や古典・現代国語なのだとおもいます。
Posted by 山寺修象 at 2013年08月14日 12:13
高校生の頃、早朝補習、夕方補習(これは夕方は普通使わない)、夏季補習、なぜか冬季は補習あるのに補習と言わない。全編補習色ですが、昼休みにも授業があって、弁当とお茶を飲食しながら数学の授業(必ず数学です)してました。

当時の数学の先生は故人になられたんですが、作中人物のような感慨はみじんも持たなかったと、一生もたなかっただろうと思うんです。

今それだったら悔いるどころで済まないかも。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年08月17日 19:58