この記事へのコメント
好きなのに嫌いなふりをする。良い人なのに悪ぶる。
そんな私が映画のトム・クルーズのように、目尻の辺りから仮面を剥いで本来の私に立ち戻る。
こんな所でしょうか。
でも本当は、いつまでも若い積もりでいたのに、目尻の皺に愕然としたのかもしれません。
Posted by たかだ牛道 at 2013年11月07日 22:34
顔に特に目の動きに心の動きが現れるものだが、それを見せない人はいるもの。不気味な
ので皮膚をはがしてしまえ、と怒りをぶつけた。
Posted by 秋田興一郎 at 2013年11月07日 23:06
目じりのあたりから仮面を剥ぎ取って、別の顔があらわれるシーンはコマーシャルでもドラマでもよく見かけます。しかしこの歌にはもっと深い憤りが込められているような気がします。勝手な思い入れかも知れませんが、その憤りに共感します。
Posted by さとう ひろこ at 2013年11月09日 17:06
>こころとはかかはりのない顔らしい剥がしてしまへ目尻の辺より

さとうひろこさんの「憤り」は四句の「剥がしてしまへ」の命令形からくるのでしょう。そうすると三句の「顔らしい」が少し弱い気もします。
Posted by 弘井文子 at 2013年11月11日 08:06
人間のコミュニケーションに「顔の表情」はあてにならないことを自分の身を持って感じ、それならば顔なんかあったってなくたって同じじゃないかと苛立っている。

実際には顔の皮膚を指で剥がすことは出来ないので、リアリティがなくなりそうなところですが、この歌の場合は「目尻の辺より」という言葉が気持ちの悪いリアルな手触り感を出している。
古き良き気持ち悪さ、文語のかっこよさみたいなものを感じました。
Posted by 鈴木杏龍 at 2013年11月13日 22:05
こころとはかかはりのない顔らしい剥がしてしまへ目尻の辺より

この「顔」は、作者の顔なのか、作者が偽善を感じとっている誰かの顔なのか、と一読は思いました。繰り返し読むうちに、前者と感じるようになりました。

「目尻」というのは、笑い皺が出ている場所なのではないかと感じます。「顔で笑って、心で泣いて」という表現がありますが、作者の本心は泣いてというより、もっと暗い怒りのように感じます。
前評にも言及された方が多かった「怒り」、それは言うならば、顔を、生皮を剥ぐまでの怒りと言ってもいいのではないでしょうか。
この血のにおいのするような暴力的な怒りは、周囲より、自身に大きく向けられている気がします。

ここまでの怒りを、人は人生で何度くらい経験するのでしょうか。この怒りの吹き出す強烈さが、共感を呼ぶのかもしれません。
Posted by 梶崎恭子 at 2013年11月22日 23:51
票を入れてくださった方々、コメントを記してくださった方々、ありがとうございました。

作者としては特定の“あいつ”の顔のつもりでしたが、なるほど作者自身の顔とも読めるなあ・・・、と教えられました。どちらかに特定できるように直すか、あるいは前後の歌からそれがわかるような一連とするか、考えたいと思います。
Posted by 斎藤 寛 at 2013年11月28日 08:52

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