この記事へのコメント
先割れスプーンというものは悪評高い給食を口に運ぶものです。私が学齢になったころは、普通のフォークでしたね。汁物は食器からじかに啜っていたのか、スプーンがついたのか、忘れています。先割れが後か先かは知りません。

作者は先割れスプーン世代なのでしょう。今でいうパスタの「ナポリタン」今や思い出の給食。政治家の政策が一番先に来るのは、学校だったりします。しっかり分別のついた作者が郷愁だけでなく、苦そうな未来をも読んでいるように思われます。

余談ですが先割れスプーンでナポリタンを食べるのは普通のフォークより難しいように思います。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年11月07日 11:18
>先割れのスプーンで食べたナポリタン TPPなど知るよしもなく

高度経済成長の頃、あるいはそのもう少し後の学校給食の風景だったでしょうか。昭和三十年代は、自国民の食糧増産のためにみな一心に働いていた。その後は日本の経済成長のためにも働いていた。
そして今は、環太平洋戦略的経済連携協定…、と言うことになっているのですが。
郷愁と苦い現実とを、平易な言葉で対比させています。
Posted by 弘井文子 at 2013年11月11日 08:16
先割れスプーンはある世代には響く言葉です。ナポリタンは、先割れスプーンほど限定されることはないと思いますが、やはり郷愁を覚える言葉です。両者に感じる読者に伝わる一首でしょう。TPPは置き換え可能かもしれませんが、食に関わるということで使ったのでしょう。
現代社会に対するささやかな抗いを感じました。
Posted by 村田馨 at 2013年11月12日 00:07
「先割れのスプーン」は戦後の学校給食のシンボル、「ナポリタン」にはさしたる意味はなく、「先割れのスプーン」と「TPP」を対比させている社会詠、と読みました。
が、その対比の意図がいまひとつよくわかりませんでした。「先割れのスプーン」に象徴される戦後日本の学校給食は、当初、「ララ物資」など、アメリカの援助のもとに始まったのだった、すなわちそこには援助する−されるという両国の関係があった、その後の日本は経済大国と言われるまでに復興し、今、「TPP」は一応各国が対等の交渉主体ということで日本もそれに参加している、しかしその実態は果たしてどうなのか・・・、ということなのかな? と思いましたが、あるいは作者の方の意図はそうではないかも知れません。そのあたりを、もう少しわかりやすいかたちで言っていただけるといいのだが・・・、と思いました。
Posted by 斎藤 寛 at 2013年11月17日 20:25

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