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2013年11月01日
第17回ネット歌会詠草/26
ぼくの猫のみぎまへあしの毛のしろさ、どこかでみたんだかがやく嘘を
【選歌集計結果=5票】
【投票者=エ リ/清郷はしる/桑原憂太郎/斎藤 寛/さとうひろこ】
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この記事へのコメント
なぜかとても気に入った歌です。「ぼくの猫のみぎまえあしの毛の白さ」と「どこかでみたかがやく嘘」の取り合わせがメルヘンチィックで好きです。少年ぽい語り口が合っています。
Posted by さとう ひろこ at 2013年11月08日 14:26
おもしろい構成の歌で、惹かれました。
律義に一首の意味を汲み取ろうとすれば、「どこかでみたんだかがやく嘘を」と言っている歌で、「ぼくの・・・しろさ」は「かがやく」を導く序詞、あるいはどのようにかがやいていたのかの形容句、ということになるでしょう。
しかしこの初句〜3句は半ば自立して猫の描写として生きています。
結句の「嘘」は、「どこかでみたんだ」ですから、われがついた嘘ではなく誰かがついた嘘なんですね。その嘘のかがやきを誉める、というユニークな意匠の一首で、しかも猫というのは人間さまに対して律義な存在ではなく、いかにも騙したりはぐらかしたりしそうな生き物です。そのあたりも、上手く呼応している、と思いました。
読点の箇所は単純に一字アケでもよかったかなあ? と思いましたが、どうでしょうか。
Posted by 斎藤 寛 at 2013年11月08日 19:21
>ぼくの猫のみぎまへあしの毛のしろさ、どこかでみたんだかがやく嘘を
輝く嘘ですから、嘘と言ってもさほど人を不快にするような不幸にするような嘘ではないように思えます。
猫の足のしなやかさが、輝く嘘に重なります。猫は家の手入れをよくするので、ほんとうに輝いているのです。
さて、斎藤寛さんの「読点の箇所は単純に一字アケでもよかったかなあ?」、わたしも賛成です。両者がふっと、置かれた感じになって、良いと思います。
Posted by 弘井文子 at 2013年11月11日 08:21
斎藤さんの読み解きに感じ入りました。「なるほどその通りだなあ」と。自分で選んでおきながら「なんとなく好きな歌」ではコメントになってないと反省いたしました。
Posted by さとう ひろこ at 2013年11月14日 11:44
かがやく嘘なのですから、みぎまへあしは、とてもキレイな白なのでしょう。ぼくの自慢の猫に違いがありませんね。
猫は、嘘をついたり、つかれたりはできないので、「みたんだ」と作者は推察するわけですね。そして、どんな嘘かもわからないので、「どこか」なのですね。
読点はなくても良かったかもしれませんね。
Posted by 桑原憂太郎 at 2013年11月18日 22:11
また韓流ネタですいませんが、(白い嘘)って
ドラマがありました。まさかそこから連想なさったんじゃないと思いますが、このごろ嘘の色は白なんだな、昔は赤だったのになんてことをおもいました。
でも猫のみぎまえ足と絡めるなんて、なにかおぬしやるなって感じです。降参です。
Posted by 青柳泉 at 2013年11月19日 22:47
ぼくの猫のみぎまへあしの毛のしろさ、どこかでみたんだかがやく嘘を
「みぎまへあしの」「しろさ」「どこかでみたんだかがやく」このひらがなに観察の丁寧さ細やかさが現れていると思います。
猫はみなさんの意見と同じく、嘘と上手く呼応していると思います。
この「嘘」は天晴れと拍手してしまいたくなるような、嘘をつかれた人が幸せになるようなものだったのではないでしょうか?
そして作者はそんなそんな嘘を待ち望んでいる、探している。
だから「どこかでみたんだ」と、存在するのだと言っているのでしょう。
Posted by 清郷はしる at 2013年11月21日 21:08
投票してくださった方、コメントをくださった方、読んでくださった方、どうもありがとうございました。
この猫は、我が家の実にやんちゃな1歳半になった猫です。
毛づくろいをしているところを見て上句ができました。
真っ白い毛は、正確には右前脚の内側の毛並です。
下句は、上句からどのように跳ぼうか跳びたいか、
いろいろ考えて楽しみました・・・
そこから生まれた歌です。
Posted by 梶崎恭子 at 2013年11月28日 21:29
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しかしこの初句〜3句は半ば自立して猫の描写として生きています。
結句の「嘘」は、「どこかでみたんだ」ですから、われがついた嘘ではなく誰かがついた嘘なんですね。その嘘のかがやきを誉める、というユニークな意匠の一首で、しかも猫というのは人間さまに対して律義な存在ではなく、いかにも騙したりはぐらかしたりしそうな生き物です。そのあたりも、上手く呼応している、と思いました。
読点の箇所は単純に一字アケでもよかったかなあ? と思いましたが、どうでしょうか。
輝く嘘ですから、嘘と言ってもさほど人を不快にするような不幸にするような嘘ではないように思えます。
猫の足のしなやかさが、輝く嘘に重なります。猫は家の手入れをよくするので、ほんとうに輝いているのです。
さて、斎藤寛さんの「読点の箇所は単純に一字アケでもよかったかなあ?」、わたしも賛成です。両者がふっと、置かれた感じになって、良いと思います。
猫は、嘘をついたり、つかれたりはできないので、「みたんだ」と作者は推察するわけですね。そして、どんな嘘かもわからないので、「どこか」なのですね。
読点はなくても良かったかもしれませんね。
ドラマがありました。まさかそこから連想なさったんじゃないと思いますが、このごろ嘘の色は白なんだな、昔は赤だったのになんてことをおもいました。
でも猫のみぎまえ足と絡めるなんて、なにかおぬしやるなって感じです。降参です。
「みぎまへあしの」「しろさ」「どこかでみたんだかがやく」このひらがなに観察の丁寧さ細やかさが現れていると思います。
猫はみなさんの意見と同じく、嘘と上手く呼応していると思います。
この「嘘」は天晴れと拍手してしまいたくなるような、嘘をつかれた人が幸せになるようなものだったのではないでしょうか?
そして作者はそんなそんな嘘を待ち望んでいる、探している。
だから「どこかでみたんだ」と、存在するのだと言っているのでしょう。
この猫は、我が家の実にやんちゃな1歳半になった猫です。
毛づくろいをしているところを見て上句ができました。
真っ白い毛は、正確には右前脚の内側の毛並です。
下句は、上句からどのように跳ぼうか跳びたいか、
いろいろ考えて楽しみました・・・
そこから生まれた歌です。