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十月に咲きたるさくらの不可解をヒトの冒した罪のごと問ふ
 
 温暖化でソメイヨシノなどが一部咲いている木を公園で見かけるようになりました。
筆者は春に咲くさくらが十月に咲いていることを人間の罪なのではないかと問いただしていると詠まれています。特に「ヒト」と生物のひとつの様にさりげなくカタカナで表記されているところが効果をあげています。
私には、「誰が誰に問ふ」歌なのかがわかりにくかったのですが、温暖化は深刻な人の功罪なので一票入れたい一首です。
Posted by 西五辻芳子 at 2013年11月17日 14:46
今となっては嘘のようですが、先月の上旬はまだ残暑が居座っていて、桜が春と勘違いして狂い咲いたというニュースもありました。
作者の方はその背後に地球温暖化・・・等々を想定してこの歌を詠まれたのだろうと思います。
前評でも言われていますが、「問ふ」というのがわかりにくかったです。「不可解」ゆえにわれ信ず、ではなくわれ問う、ということなのでしょうが、ここは「不可解」「罪」「問ふ」とまで言わず、「十月に咲きたるさくら」のニュースに接して感じた“人類”の一員としてのうしろめたさのようなことを、もう少し控え目に言われた方が、かえって訴える力のある歌になったのでは? と思いました。
Posted by 斎藤 寛 at 2013年11月17日 20:10
西五辻さんの評に同じく、「誰が誰に問ふ」のかがはっきりしない分、どのような読みをすべきか
大変迷いました。
「ヒトの冒した罪のごと問ふ」が作者の想いならば前評者のコメント通の意味です。
しかしそうではなく「問ふ」のが作者以外の他人の場合、このお歌は別の深さが出ると思います。
十月に桜が咲くことは品種によって、または気象状況によって従来よりある現象なのです。
そのようなことは桜に限らずさまざま、決して不思議ではない現象なのに、昨今の風潮としてなんでも
「温暖化」だの「放射能」だのと結びつけて言う人がいます。
そのような人を少し批判的にみているのか…「ヒトの冒した罪のごと」の「ごと」の箇所がそれをあらわしているようにも、私には思えました。
もう少しヒントがあればよくわかる歌になると思います。
Posted by 三島麻亜子 at 2013年11月17日 20:45

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