この記事へのコメント
どのような状況を詠まれたのか、少し考えさせられました。

作者が実家に帰省した折に、幼い頃と変わらず墨色の菓子箱が置かれていた。「あの箱には触ってはいけない」などと言われていたのかもしれません。その箱は幼い頃の作者にとっては非常に怖いものと認識されていたのかもしれません。そのことを思い出したのでしょう。「墨色」が不気味です。にもかかわらず「菓子箱」という本来は子どものためのものに代々伝わる貴重な薬が入っているのです。

菓子箱が置かれているあたりの暗いひんやりとした空気感も感じられる一首でした。
Posted by 光本博 at 2013年11月07日 18:22
幼い頃の思い出として多くの人が共感できるだろう。「墨色の菓子箱」が少し思わせぶりで気になるが、別の色に置き代えられるかというとはてさて。
Posted by 秋田興一郎 at 2013年11月07日 23:03
「富山の薬売り」を思い出しますね。熊の胆は胃腸薬の類です。富山の薬売りの人は、最初子供に紙風船などをくれるそうです。で、最初買う客には薬入れのセットをおいて行きます。次回からは切れたもの補充です。(どれだけか前現代版富山の薬売りを利用していました。)

その家では「墨色の菓子入れ」に「富山の薬」熊の胆を入れていたのでしょう。相伝というのは、「富山の薬」は現代はともあれ江戸時代頃は確かに、作り方は他国(他県ですね)に漏らさないようにしていました。

菓子箱は確かに薬の保存箱にもいいので、そうしてあるのでしょう。

お菓子の箱だったものにたいそう苦い薬<熊の胆は苦いです>が入っているという記憶がおそれにつながるんですね。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年11月08日 11:24
追記という形で菓子箱の色に言及しましょうか。

菓子箱には今なら大抵乾燥を防ぐためのシリカゲルが入っているので薬の保存箱にいいのですが「日の当たらないところ、高温多湿にならないところに保存」するんで、現実にはピンクだっていいんですが緋色でも別の恐ろしさがあるし。しかし「暗い」という特徴は墨色にでていますね。病の色もなんだか墨色の気がします。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年11月08日 11:28
>墨色の菓子箱のなか相伝の熊胆(くまのい)あるをはつか怖れて

昔は、作りのしっかりした菓子折りの箱などはけっこう貴重で、わたしなども良い菓子箱をいただくと、もったいなくてなかなか捨てられずにいます。今も、のし袋が入っているものや、年賀状が入っている箱があります。少し旧い田舎の家にはこう言ったものがまだまだあることでしょう。
作者の実家では熊胆などの漢方薬が入っていたのですね。菓子箱の墨色は長年のあいだにすすけたのかもしれません。囲炉裏やかまど近くの部屋では柱や天井など、黒光りしてきますから。
秋田興一郎さんがお書きのように、「墨色」がおどろおどろしくて子供ごころにおっかなく感じたことを思わます。昔むかし、の物語のような。
Posted by 弘井文子 at 2013年11月08日 14:28
現在形の歌なので、過去の回想を現在形で詠むという手続きは入っていなくて、これは現在を詠んだ歌と解してよいのではないか、と思います。
「相伝」ですから、もうけっこう年代物の菓子箱で、想像するにその種の箱に初めて金属が使い始められた頃のものなのではないかと思いました。あの手のものは年月を経るとたしかに墨色になり、そして真っ黒になったりします。今まで、一度も開けられたことはない・・・、というわけですね。
キーワードはやはり「熊胆」でしょう。これが正露丸だったり陀羅尼助丸だったり、だとしたら「怖れて」という感情へは至らないはずです。馴染みのないものはオソレの対象となる、という心理をうまく表現されている歌、と思いました。
なお、結句を「はつか怖れて」という言いさしにしたのは、一首をパワーダウンさせてしまっていないだろうか、と思いました。「われは怖るる」ぐらいにストレートに言ってしまった方がよかったのではないでしょうか。
Posted by 斎藤 寛 at 2013年11月08日 19:08
やはり熊胆が効いています。
漢方薬は薬草由来成分が多い中で熊の肝とはそれだけでインパクトがあります。
内臓を乾燥したものなど恐ろしい・・しかもあの熊の・・そして代々伝わる相伝として墨色の菓子箱にずっと触ってはいけないもののように、多分人が使うことのない部屋に置いてあるのでしょう。
熊肝と他の漢方を調合した薬というより乾燥した形のままに熊胆が暗い箱の中に入っているような恐ろしさを感じました。
とても高価なものなので余程の緊急な事態の時に使うようにとの家訓で代々受け継がれてきたのかも。
現在形の歌なので現代を詠った歌と解釈しました。
作者が実家に帰った時に、菓子箱に入った熊胆が今もあるのを見て、子供のころの恐れを思い出したのでしょう。
「はつか恐れて」は子供のころはとても怖かった、今でもやっぱり少し怖いという気持ちを表現したかったのではないでしょうか。

私も子供のころ熊胆が家にあり、その姿を見て(真っ黒で薄い四角で、多分配合薬だったのでしょう)とても怖かった感覚がよみがえりました。
Posted by 海野 雪 at 2013年11月09日 08:37
上等な桐のような菓子箱のなか、和紙あるいは布をひいた上に鎮座する熊胆を想像しました。
それはもう薬というより、代々の家人の健康を司る守護神のような存在なのでしょう。
現代に生きる作者にも、わずかながら畏怖の念があります。
Posted by たかだ牛道 at 2013年11月10日 08:09
どうしても他評者と相違する点があるのは、相伝にかかるのですね。多分地域的にゆかりの深い土地だからでしょうか。

私は岐阜の南半分、美濃地方に住んでいますが、飛騨地方の人は五箇所の集落なども富山とまたがっています。魚なども富山ルートです。

で、相伝は(富山の薬である)熊の胆にかかるわけです。現状工業化されていますから相伝とまではいかないのでしょうが。

しかしこのおそれ、というものに関しては道具立ての利いた(特に作為がなくても)歌でよいと思っています。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年11月10日 12:48
斎藤寛さんお書きの言い差しについてですが、わたしも「はつか怖るる」くらいがが良いかなと、思えてきました。 「言い差し」って、難しい。
Posted by 弘井文子 at 2013年11月17日 15:49
私は言いさしの方が、襖の陰からそーっと伺っているような「はつか怖れて」いる雰囲気が出て良いと思います。
Posted by 清郷はしる at 2013年11月21日 20:37
採ってくださった皆さま、コメントをいただいた皆さま、丁寧に読んでくださってありがとうございました。

十年ぐらい前までは実家も婚家も民俗資料館のようでした。地方の古くからの家はたいていそうでしょう。
私には子供のころから怖いものがいっぱいで、今は何もかもが懐かしいのです。
Posted by 三島麻亜子 at 2013年11月26日 20:54

この記事へのトラックバック