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第17回ネット歌会詠草/1
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2013年11月01日
第17回ネット歌会詠草/2
張り紙はお忘れ物のあることを「大きな犬の飼ひ主様」へ
【選歌集計結果=3票】
【投票者=秋田興一郎/桑原憂太郎/ふゆのゆふ】
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posted by 短歌人会 at 00:28|
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この記事へのコメント
シニカル&シニカルなんですね。「張り紙」の中身は(この場合大きい犬に、というより犬の飼い主で犬より大きい=人間なんですが)お忘れ物を持って帰ってください、という非常によくあるものです。
でも張り紙がたとえば風で飛ばされれば忘れ物、落とし物の類になります。そこが個人の家だったのだけど住民はいなくなった。そういう場合家は売り物かもしれませんが、貼り紙まで付属しているとは言えません。
ありがちな張り紙に逆にシニカルな目を向けるということもあっていいと思います。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年11月06日 13:12
忘れ物とは何か?大きな犬そのものか?大きな犬に附属する首輪のようなものか?
前者であることがはっきりわかるとよいのだが。
Posted by 秋田興一郎 at 2013年11月07日 23:01
犬には張り紙が読めませんです。「大きな犬の飼ひ主様」とありますから、大きいという形容詞のつき方が変なところ「実際の張り紙」通りだったのかもしれません。
秋田さんはマナーの良いところに住んでおられるんですね。要するに糞尿を犬が垂れるので何かに入れて持って帰ってくれ(少なくとも土の少ない都市部ではそれがマナーです)という意味の張り紙なんです。
犬にわかるわけがないのを張り紙の主は承知なわけです。人間に訴えるしかないです。
犬の散歩をさせている人間が、人間の付属物になっている面はありますね。
Posted by ふゆのゆふ at 2013年11月08日 11:09
張り紙した人のユーモアセンスがいいと思いました。忘れ物は犬の排せつ物で、しかも大きなものだったので、「大きな犬の飼い主様へ」と皮肉ったのでしょう。飼い主の見当は付いているのかもしれませんね。
Posted by さとう ひろこ at 2013年11月08日 13:18
>張り紙はお忘れ物のあることを「大きな犬の飼ひ主様」へ
「お忘れもの」は犬の「フン」ではないでしょうか?
この張り紙を書いて張り出した方の家の前を、大きな犬を連れて散歩される人がいて、犬の落し物「フン」を始末せず放置して行ってしまうことがあった。それに対して、張り紙を書いた人が直接的な抗議文にせず、ユーモアをまじえて書いたものと思われます。
それを過不足なく、一首にまとめた作者もまた、ユーモアの分かる方ですね。
Posted by 弘井文子 at 2013年11月08日 13:53
僕も「お忘れ物」は犬の排泄物ととりました。駅舎に「鳩の落し物にご注意下さい」などと書かれているのと同様の書き方でしょう。
それで、その「お忘れ物」がこの張り紙の前にそのまま置かれているのか、あるいはこの家の方がわざわざ“保存”して、もし飼い主さんが現れたら「はい、これをお持ち帰り下さい」と突き出すつもりなのか、そのあたりが自由に想像できて楽しい歌、と思いました。
なお、一首の作りが「〜は〜を〜へ」と、述語を省いた言い方になっていますが、この言い方がやや不安定で、その不安定さがこの歌の場合はプラスにはなっていないのでは・・・? と思いましたがどうでしょうか。
Posted by 斎藤 寛 at 2013年11月10日 05:44
斎藤寛さんがお書きの点については、術後を省いた言い方が如何にも張り紙に書かれそうな文体で、わたしはさほど、不安定とは感じなおなぁ。
Posted by 弘井文子 at 2013年11月17日 15:25
私の家の近所にも、犬のフンを道路に放置したままでいる、マナーの悪い散歩者がいて、放置された家主は「犬のフンの始末をしてください」という張り紙を家の前に張り出していたりします。
この歌では、「大きな犬」とわかるくらいの大きなフンが道路か玄関先かに放置してあったわけで、家主は「大きな犬の飼ひ主様へ」という書き出しでフンの始末をして欲しい旨の張り紙をしているわけですね。
作者は、家主本人かもしれませんし、あるいは、散歩中や通勤がてらにその張り紙を見つけて、書き出しの婉曲表現を面白いと感じて、一首詠んだということでしょう。
ですので、私は歌の解釈については、ほとんど迷うことはありませんでした。
ただ、犬のフンのような題材を上品に詠んでいるところに歌の巧さを感じて、とらせていただきました。
Posted by 桑原憂太郎 at 2013年11月18日 21:40
忘れ物=糞ということは前評者のご指摘でわかりました。一読では分かりませんでした。
奈良に越してきて、道路に犬の糞が残っていることに、かすかな懐かしみを感じます。かつて、2〜30年位前は東京でもそうでした。近年は犬の糞は飼い主が始末することが常識化され、都内には犬の糞を見かけることはほとんどなくなりました。
今住んでいるところはそういったマナーが定着していないようです。本作の作者もそのような地域にお住みなのでしょう。
皮肉っぽさが面白いです。
Posted by 村田馨 at 2013年11月20日 01:51
忘れ物=フンということは前評者のご指摘でわかりました。一読では分かりませんでした。
奈良に越してきて、道路に犬のフンが残っていることに、かすかな懐かしみを感じます。かつて、2〜30年位前は東京でもそうでした。近年は犬の糞は飼い主が始末することが常識化され、都内には犬のフンを見かけることはほとんどなくなりました。
今住んでいるところはそういったマナーが定着していないようです。本作の作者もそのような地域にお住みなのでしょう。
皮肉っぽさが面白いです。
Posted by 村田馨 at 2013年11月21日 18:33
「お忘れもの」とあったので、糞とは読みませんでした。私の感覚では糞なら「落し物」のはず。糞を平気で残して行く飼い主に気を使う必要などまったくない。ということで、表記どおり忠実に解釈すると奇抜な情景が想像されて面白い、と判断した次第です。
Posted by 秋田興一郎 at 2013年11月25日 19:49
たくさんのコメントをいただき、ありがたく拝読いたしました。
実際の文面は「大きな犬の飼い主様へ 犬のフンはお持ち帰り下さい」というようにもっとダイレクトに書いてありましたが、これがどうしても定型におさまらず、若干アレンジしました。
たとえば犬のフンの扱いに対する注意喚起ということをあきらかにし、「〜と張り紙は告ぐ」であったり「張り紙ありき」のように歌いおさめてもそれは単なる報告でしかないのではないかと思い、そのような歌にすることにはあまり興味が持てませんでしたので言いさしになりました。この言いさしがあまり効を奏していない、というご意見はありがたく受けとめましたが、定型におさめることと報告を避けるという意味合いでこのような表現となりました。
犬のフンを「お忘れ物」とだけ書かれても分からない、というご意見はあるだろうとは思っていましたが、その点やや読者の想像力に寄りかかりぎみな部分は否定できません。
私がこの張り紙を見て一番気になったのは「大きな犬の飼い主様」というところで、それってほとんど誰のことか分かって書いてるよね?という感想を持ちました。名前は分からないが顔は分かっている。書いた人の「あの野郎」という気持ちが伝わってきますし、こんなことで顔を覚えられたくはないものです。
ほとんど特定の人に向けられた張り紙であることを読み取って下さった方もおられて嬉しく思いました。
どうもありがとうございました。
Posted by 光本博 at 2013年11月28日 07:45
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ありがちな張り紙に逆にシニカルな目を向けるということもあっていいと思います。
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犬にわかるわけがないのを張り紙の主は承知なわけです。人間に訴えるしかないです。
犬の散歩をさせている人間が、人間の付属物になっている面はありますね。
「お忘れもの」は犬の「フン」ではないでしょうか?
この張り紙を書いて張り出した方の家の前を、大きな犬を連れて散歩される人がいて、犬の落し物「フン」を始末せず放置して行ってしまうことがあった。それに対して、張り紙を書いた人が直接的な抗議文にせず、ユーモアをまじえて書いたものと思われます。
それを過不足なく、一首にまとめた作者もまた、ユーモアの分かる方ですね。
それで、その「お忘れ物」がこの張り紙の前にそのまま置かれているのか、あるいはこの家の方がわざわざ“保存”して、もし飼い主さんが現れたら「はい、これをお持ち帰り下さい」と突き出すつもりなのか、そのあたりが自由に想像できて楽しい歌、と思いました。
なお、一首の作りが「〜は〜を〜へ」と、述語を省いた言い方になっていますが、この言い方がやや不安定で、その不安定さがこの歌の場合はプラスにはなっていないのでは・・・? と思いましたがどうでしょうか。
この歌では、「大きな犬」とわかるくらいの大きなフンが道路か玄関先かに放置してあったわけで、家主は「大きな犬の飼ひ主様へ」という書き出しでフンの始末をして欲しい旨の張り紙をしているわけですね。
作者は、家主本人かもしれませんし、あるいは、散歩中や通勤がてらにその張り紙を見つけて、書き出しの婉曲表現を面白いと感じて、一首詠んだということでしょう。
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ただ、犬のフンのような題材を上品に詠んでいるところに歌の巧さを感じて、とらせていただきました。
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今住んでいるところはそういったマナーが定着していないようです。本作の作者もそのような地域にお住みなのでしょう。
皮肉っぽさが面白いです。
奈良に越してきて、道路に犬のフンが残っていることに、かすかな懐かしみを感じます。かつて、2〜30年位前は東京でもそうでした。近年は犬の糞は飼い主が始末することが常識化され、都内には犬のフンを見かけることはほとんどなくなりました。
今住んでいるところはそういったマナーが定着していないようです。本作の作者もそのような地域にお住みなのでしょう。
皮肉っぽさが面白いです。
実際の文面は「大きな犬の飼い主様へ 犬のフンはお持ち帰り下さい」というようにもっとダイレクトに書いてありましたが、これがどうしても定型におさまらず、若干アレンジしました。
たとえば犬のフンの扱いに対する注意喚起ということをあきらかにし、「〜と張り紙は告ぐ」であったり「張り紙ありき」のように歌いおさめてもそれは単なる報告でしかないのではないかと思い、そのような歌にすることにはあまり興味が持てませんでしたので言いさしになりました。この言いさしがあまり効を奏していない、というご意見はありがたく受けとめましたが、定型におさめることと報告を避けるという意味合いでこのような表現となりました。
犬のフンを「お忘れ物」とだけ書かれても分からない、というご意見はあるだろうとは思っていましたが、その点やや読者の想像力に寄りかかりぎみな部分は否定できません。
私がこの張り紙を見て一番気になったのは「大きな犬の飼い主様」というところで、それってほとんど誰のことか分かって書いてるよね?という感想を持ちました。名前は分からないが顔は分かっている。書いた人の「あの野郎」という気持ちが伝わってきますし、こんなことで顔を覚えられたくはないものです。
ほとんど特定の人に向けられた張り紙であることを読み取って下さった方もおられて嬉しく思いました。
どうもありがとうございました。