この記事へのコメント
この歌は、はじめに読んだ時から気になっていた。何度か読んでも理解できない、もどかしさを覚える。これは、読み手個人の能力の問題で、読みが足らず歌の背景が立上がらないためであろうと思い直して、挑戦するも、いまだに理解できない。そのもどかしさの二、三を掻い摘んでひろって見たい。

「うろこ雲あまたうかびて」とは、雲の浮ぶ範囲はどの程度なのか、「空広し」とは雲を含んだ空全体を指す表現なのだろうが、雲が空の大部を占有してと二句を原因と解せば、三句は結果として「空狭し」となろう。 むろん歌は前者であろうが。

「蠢く」という表現は、どのような運動の表現なのか、「闇に蠢く」とか「地中より蠢く」とか、運動として程度として、どのような態のものだろうか。蠢動という語はあるが。「地上に蠢く」の「蠢く」は成仏できぬ霊が徘徊するというような状態を指すか。、「地上」は「天上」の対として「この世」ということか。

さいごに、「無念の人ら」は「人ら」と言うとき、まず作者はうちに含まれるのか、含まれないのか、「無念の」は「念無し」の残念・悔しいの意であろうから、例えば昨日結果の出たアメリカ大統領選における負組のクリントン支持者達であってもよい。日本にあっては先日の野球の日本シリーズにおける敗者、広島ファンであってもよい。また災害等で亡くなった人々の成仏できぬ霊たちととらえてもよい、だ。

この歌は調べよく納まっていて好きな歌であるが、すっきりしないところ、私にとってこの上なしである。
Posted by かわすみさとる at 2016年11月10日 10:55
空いっぱいに広がるうろこ雲と、地上で諸々にとらわれて生きる人間達との対比でしょうか。前者はこころが晴れるおおらかな風景ですが、後者はせせこましいとでもいうか、空から見下ろせば小さな人間が蠢いているように見える状況。
「無念の人」は作者の中に対象があるかもしれませんが、私には一般的な人々としか分かりません。
Posted by 弘井文子 at 2016年11月24日 08:53
かわすみさん、弘井さんコメントありがとうございました。風邪で体調を崩し、コメントの期限が過ぎてしまいましたが一応発信てみます。
この歌はご指摘の通り、推敲不足で解りずらかったと思います。どうしようもない災害の不条理の中で、現実に何とか対処しながら、空ばかり眺めていた気がします。「地上にうごめく無念の人ら」は天上からの視点で、視点が2つあることが失敗の原因です。もう少し考えてみます。とても参考になりました。
Posted by さとう ひろこ at 2016年11月29日 17:27
かわすみさん、弘井さんコメントありがとうございました。推敲不足で解りづらかったようですね。なにしろ大地震というのは大変な経験だったので、少しでも書きとめておきたいのですけれど、なかなか表現がむつかしいです。地上の混乱に比べて、何事もなかったような空ばかり眺めて過ごしていました。こんな風に変えてみましたが伝わりますか?
 うろこ雲あまた浮かびて広き空 地は揺れ熄まず右往左往ぞ
Posted by さとう ひろこ at 2016年11月29日 18:49
歌の背景がよく分かりました。作者の実際が理解されると、三句の「空広し」も趣が変わりますね。天の不条理を上句に籠めているのでしょうか。
また「地上に蠢く」も「無念の人ら」も、ダイナミックに生の実態を把握されて簡潔な表現であると、思いなおしました。。
作品中に視点が二つあることも、短い短詩の作品であっても良いと(許されると)私は思います。古来より視点を二つもつ芸術はたくさんありますよね。
改作は必要ないとおもいます。あらためて読み直して、そう思います。 
Posted by かわすみさとる at 2016年11月30日 04:56
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