この記事へのコメント
しみじみとした佳い歌だと思いましたが、フジさん(a)、その夫(b)、bを偲ぶ作中主体(c)と一首の中に三人の人物が登場するのでやや煩雑な印象も受けました。たとえば(事実と違ったとしても)bを主体として詠むということも可能かと思います。人の妻の名をもつ果実を「喰む」という状況にもすこし違和感があります。そのわずかな背徳感を狙ったなら、それはそれで面白いと思いますが。
Posted by 冨樫由美子 at 2016年11月09日 20:32
三人の人物が登場しますが、僕には意味がすぐに読み取れて、一読悪くない歌と思いました。「喰む」も僕としては抵抗感を持ちませんでした。
Posted by 永井秀幸 at 2016年11月10日 16:21
前評の冨樫さんとは意見が異なって恐縮ですが、私は結句「喰む」は動かないと思いました。(「喰う」でも「食す」でもいいと思いますが)。

リンゴが題材で、結句に作者を出すなら、やはり食むでしょうね。

この歌はリンゴですが、リンゴに限らず「ああ、これ、そうそう、死んだあの人が好きでよく食べていたよなあ」なんて偲びつつ美味しく食べるというのは、生活実感としてよくわかるなあ、と私は共感しました。

「フジ」という品種もなかなか効いています。これを愛でたということで、作者の知人の人となり(高齢の方で愛妻家)が伝わりました。

妻と、知人、と自分と三人登場しながらも、すっとまとめており、巧者の方の一首と思いました。
Posted by 桑原憂太郎 at 2016年11月20日 13:33
コメントありがとうございます。作者の加藤隆枝です。

8月に亡くなられた大森益雄さんを思って詠んだ1首でした。
桑原さんの「作者の知人の人となりが伝わりました」という評を大変うれしく思いました。
大森さんの奥さんは冨士子さん。
大森さんが奥さんの名前を教えてくださったときのことがなつかしく、今までもりんごのフジを食べるときにはよく思い出していましたが、今年の秋は特にしみじみとした気持ちでいただきました。
Posted by 加藤隆枝 at 2016年11月26日 21:33
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