この記事へのコメント
水量の多い川のほとりで観ていると水のエネルギーがぶつかり合って渦を巻いたりうねりとなったりして、意志を持つ物の様な水の力に圧倒されます。この歌の作者は水流に馬の筋肉を見たのでしょう。水の流れに競争馬の戦いの様な興奮を覚えたのかもしれません。水の力というものに畏れを抱いたことがあれば、この感覚が分かる気がします。
Posted by さとう ひろこ at 2016年11月13日 17:04
前評者の解釈のおかげで、はじめて上句の意味が解かったように思います。

「水流が馬の筋肉に見えるとき」とは最初、一体、何のことかと正直、匙を投げていました。

ところが、前評者によれば、この上句は「水流」をエネルギーの一現象と把握して動体としての馬の筋肉に「比定」しているのですね。この比定はシュールな手法であると思います。 

みごとな解釈をされたと思います。
前評者の解釈に、あらためて敬意を表します。
Posted by かわすみさとる at 2016年11月18日 11:50
「馬の筋肉」。
私も、表現が広すぎてイメージできませんでしたが、前評者の解釈で、読めました。
しかしながら、下句。水流が「力が力を征す気配」するというのは、気配というよりも、その通りだろうと思いました。また、「力が力を征す気配す」というのは、日本語としてアヤしく(「力を征す」はわかりますが、「力が征す」とは言わないと思います。「力で征す」がふつうじゃないかしら)コナレテイナイ感がしました。
Posted by 桑原憂太郎 at 2016年11月23日 21:43
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