この記事へのコメント
>唐突に希求という語浮かびしがそれより後のしばらくの空白
突然に脳裏に浮かんだ希求という言葉、でもいったい何を願い求めたのかが自分でもわからなくて、「しばらくの空白」になってしまった。そういう歌だと読みました。下句がちょっともたつく感じになっていて、最後も字余りになっていますが、これが希求という重い言葉を持て余しているのを表しているのかと思います。惹かれた歌です。
Posted by 桃生苑子 at 2017年02月09日 21:14
作者の方に怒られるかも知れませんが、希求と空白は性欲そのものではないかと連想し、面白く読ませていただきました。
Posted by たかだ牛道 at 2017年02月09日 21:32
主体はどういう状況で、希求という語が浮かんだのか。なにか堂々巡りに考えて救いを求めていたのか、あるいは開放的な場所に出た、とかわたしは想像しました。もちろん、脈絡なくうかんだのかもしれませんが。桃生さんのおっしゃるように最後の空白という言葉が効いていますね。

情景がうごかぬほどはっきりした歌より、想像の余地の拡がる歌に魅かれます。
Posted by 岡本はな at 2017年02月12日 22:13
この歌のもつ観念性というか観念の構築性に言語遊戯の世界のような印象をもちます。まず、上の句に「希求」という「語」が「唐突」に「浮かんだ」とありますが、この文意は一体何であるのか、突き詰めても仕様もない気がするのです。
また、下の句でも分かるような分からぬような表現が空論めいて見えます。
そもそも脳裡に語(言葉)が浮かぶのは、まず思い(思念)があって後、意味付けがされてからです。思いがなければ語は浮かばない。その思いが何であるかを知る手がかりが、少しもない歌では読みようがないのです。三十一音の短詩だからといって肝心な部分を省略されては読みようがないのです。
言葉と言葉の狭間のもやっとした淡いの部分など想像するしか手立てがないでしょう。読者の想像に任せれば解釈は無限大に広がるでしょう。それで良しとする立場も、世の中にあると思いますが。…私は無限大に恐怖を覚える方です。
「作品は作者を離れて自立する」という歌論(芸術論)が暴走しているような気がしてなりません。
歌に関して私など、殆ど素人ですから、私の言うことの方がむしろ空理空論かも知れません。その場合はどうぞご容赦ねがいます。

皆さんは、どのような考えをお持ちでしょうか。
Posted by かわすみさとる at 2017年02月14日 10:13
概念的な歌が苦手の自分はかわすみさとるさんほどきちんと厳しく考えたうえではありませんが、ほぼかわすみさんと似た感想を持ちました。
Posted by 永井秀幸 at 2017年02月14日 16:39
このように利口な人が頭の中だけでこねくり回して作ったような
中途半端に観念的な歌は僕も苦手です。中途半端というのが肝要で、
下句でもっと遊ぶというかぶっ飛んでくれればなと思いました。
1首としてうまくまとめているつもりになっているというか
そういうところが見え隠れしているように感じられるのです。
Posted by 伊波虎英 at 2017年02月22日 17:17
>唐突に希求という語浮かびしがそれより後のしばらくの空白
このうたを素直に読めば、「唐突に」とは前後の脈絡無くということではありませぬか。そうすると、「希求」が、そのものの思いや意味が明かされぬまま「語」として意識のうちに「浮かんでいる」という読みになります。しかし「語」であるからにはやはり思いや意味があるのでしょう。そして思いや意味には前後の脈絡がなければなりません。そうでなければ何もわからないでしょう。したがって「それより後の」とは、作者の意識に、思いや意味の脈絡が出来して後の、ということになります。「希求」という「語」の思いや意味が明らかになった「いま」からすると、そのものの思いや意味が明らかにされぬまま、只、「希求」が感受される時間は、「しばらくの空白」と書くくしかなかったのでしょう。作者は「希求」の思いや意味を表現したかったのではなく、作者にとってかけがえのない特異な「希求」の経験を率直に記述したかったのではありませぬか。
Posted by 辻和之 at 2017年02月23日 01:02
私も桃生さんと同じような読みをしました。
切実な歌で、おそらく作者は常に不全感を持っているのだと思います。その不全感を表す言葉として、あるとき「希求という語」が浮かんできた。希求と名づけてみると、何かを求めている気がして考えてみたが、結局、何を求めているのか分からなかった。何かを求めているのに、それが空白であるというところに切実さを感じました。

主語と客体ははっきりしているので、読むことができる歌だと思います。概念的、観念的な歌と感じられるのは、具体的な物としての名詞がでてこないので、イメージを寄せづらいせいかなと思いました。
概念的な歌といわれると葛原妙子さんの歌が思い浮かぶのですが、抽象的で意味が分からなくても名詞が具体的なので、イメージができるような気がします。
Posted by 葉山健介 at 2017年02月25日 00:49
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