この記事へのコメント
場面も作者の意向も分かるが、この一首は、現在形の動詞が「示す」、「見す」、「ひろふ」と三つあって、必ずや関連する動作状況にタイムラグがあるはずなのに、それを上からの順列が時の流れであると作者は言いたいのであろうが、それを読む側に判断させるという不親切が気になるところである。
全体が動詞で断片的に、それぞれ目的語を頭において順繰りに掛けていく、という手法は面白いけれど、この一首では成功していないのではないか。それは五句の「白骨ひろふ」の「ひろふ」という動詞で、主格が転じているためである。
今際まで気遣い見せた男の侠気を白々とした遺骨に見ると作者は言っているのだろうが、それをまた「ひろふ」と主客を作者に転じて結んだところに無理があったのではないか。
手法は先にも述べたとおり、面白いと思う。絵画でいうオートマチックの手法(浮かんだイメージを順繰りに描く。忠実に筆を置いていく。したがって描き足しはありえない。文章でいえば推敲はない)であり、これはこれで、私は面白いと思う。
Posted by かわすみさとる at 2017年02月11日 19:13
>今際まで気遣ひ示すをとこ気をまざまざと見す白骨ひろふ
白骨にその持ち主である「をとこ」の内面を感じ取る作者の気持ちと、「をとこ」との作者の距離感を感じさせるお歌です。
「気遣い」「をとこ気」がある白骨ですから、骨太で拾いやすかったんでしょうか。

私は動詞が多いことより、白骨にかかる修辞が長いことのほうが気になりました。具体的には友人関係なのか、親子なのかなど、もう少し作者と「をとこ」の関係性が具体的に分かった方がドラマが感じられる気がします。
いずれにしても、死してなお気遣いを感じさせるという「をとこ気」をお持ちの故人への気持ちを感じさせるお歌だと思いました。

Posted by 桃生苑子 at 2017年02月12日 09:01
桃生さんの読み
>「気遣い」「をとこ気」がある白骨ですから、骨太で拾いやすかったんでしょうか。
とほぼ同じ意見を持ちました。

ただし、動詞の時制の選択のせいで、誰の行動か、時間軸はどうか、分かりにくくなってしまっていると思います。

「今際」は、死にぎわ・臨終のことなので、死亡する前のことです。現在の動作「ひろふ」より過去の行動が、現在形の「示す」なのは「?」という感じでした。
「をとこ気を見せし白骨」であれば、普通に説明だなぁと分かると思うのですが。
Posted by 砺波 湊 at 2017年02月13日 00:06
今際まで気遣ひ示すをとこ気をまざまざと見す白骨ひろふ

このままでは、「−まざまざと見す」の「見す」は終止形ですから、ここで一旦切れる歌になってしまいます。白骨にかけるには「見する」と連体形にしなければならないでしょう。
時制の点からも上記、砺波さんの意見に同じく「をとこ気を見せし白骨」にしたらいいのではないかと思います。
Posted by 永井秀幸 at 2017年02月14日 16:30
愛がある歌だなぁと胸にきました。
どのような関係性の対人であっても、
白骨にさえ「をとこ気」を感じる間柄であることや
故人が「今際まで気遣ひを示す」人柄であったことを知っているからこそ、作中主体の「白骨ひろふ」という行為に悲しみがあふれてるように感じました。
今際の気遣いをご存知であることや
骨をひろうのは通常ご家族、ご親族の方なので、
私はこの歌はご主人のことを歌っているのだとおもいました。
愛していた人の骨を見て、さまざまなことに思いを馳せただろう時のそのほんの一部分であるからこそ、動詞が連なるような断片的な表現になっているのではないでしょうか。
そのひとつひとつの動詞の間にある語りつくせない感情に愛を感じました。
Posted by 蒼あざみ at 2017年02月14日 17:15
この歌は4句で切れると思います。
骨にをとこ気を見るのは、無理があります。
生前のをとこ気を思いつつ骨拾いをする。
そのためには「見す」を「見き」と時制を変えなければなりません。
Posted by たかだ牛道 at 2017年02月14日 19:49
今際まで気遣ひ示すをとこ気をまざまざと見す白骨ひろふ

なにかドラマ性があるので、ふかく読んでいました。
親族かどうかが、歌意より判りにくいですね。

四句と結句の間の深い沈黙になみなみならぬ状況がよみとれ
結句の達観したような心情も伝わりどのような気遣いをしめされたのか
詠まれていないところがかなしみの深さを表している。

ご遺体が焼かれて白骨になってしまった実存をひろいつつ作中主体には
今際まで気遣いを示したをとこ気をまざまざと見せているのですね。

「見す」を推敲するより「泛ぶ」「浮かぶ」ではどうだろうか。自動詞他動詞
時制に気をつけ助詞も私なら変えます。
Posted by 西五辻芳子 at 2017年02月20日 19:39
かわすみ様、桃生様、砺波様、永井様、蒼様、たかだ様、西五辻様、コメントを有り難うございました。

1月18日に夫の長兄が亡くなり20日が葬儀でした。帰宅してネット歌会の題が「白」だと知りました。
でも、この歌の骨の主は義兄ではありません。5ヶ月前に亡くなった夫です。5ヶ月も経ったのですが私にはまだ現在のまま。
在宅死を目指して療養していた夫が再発した腫瘍の破裂で入院を余儀なくされ、17時間後に亡くなりました。
痛みがなかなか緩和されない中で私や家族、友人たちへの気配りの言葉を残しました。

歌は考え直してみます。
私自身の心が落ち着かなければ歌にならないかもしれません。
有り難うございました。
Posted by 鎌田章子 at 2017年02月27日 21:25
鎌田さま

半年の間に大変なことが重なってしまったんですね。
わたしが言うのも口幅ったいですが、
頭や気持ちではまとまりのつかないことも、
発表はされなくても歌にされていかれては、と思います。
でも歌にすることが辛かったら、ご無理なさらず。
ご自分を労わるのを一番にしてください!
Posted by 砺波 湊 at 2017年02月28日 15:17
砺波様

コメントを有り難うございました。

今、出てくるのはほとんどが夫のことばかりです。
でも、歌として考えたら、自分よがりなのだなあと感じたところです。

「俺がいなくてもちゃんとやれ」と言い残した夫に
いつか胸を張って会えるように頑張ります。
お心遣い有り難うございました。
Posted by 鎌田章子 at 2017年02月28日 21:53
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