この記事へのコメント
今回、まっさきに選んだ歌です。
30年前、国鉄が民営化されてJRになったとき、「ジェイアールて、なんや、アホみたいなふぬけみたいな名称やな」と周りの大人たちは話していました。「国鉄がなくなるて、ホンマか、どないなんねや」と不安がっている大人もいました。
今ではすっかり定着した「JR」は、国鉄時代と変わらないままの部分もありながら、新しい要素も取り入れられて変遷を遂げながら経営をつづけています。そのなかで廃れてしまった部分もたくさんあるわけで、この30年のJR歴を振り返りながら感慨を呼ぶ歌です(国鉄時代を懐かしく思い出したりもして)。今後の発展に思いを馳せたり。JR節目にふさわしく、よく出来た歌だと思います。歌そのものが私の好みでもあります。
Posted by 鑓水青子 at 2017年05月09日 09:05
北海道に住んでいます。
JR北海道は民営化されてとんでもないことになりました。
存続の危機にある状況なので、この歌の長閑さは、実は異議を感じるのです。多分、住んでいる地域が違えばわかる歌なのでしょうが。悲しいことです。
Posted by 鎌田章子 at 2017年05月09日 10:27
上句は具体的なことをあえて言わないことで、読者の経験や
知識によって解釈や味わいが変わる作り方になっています。
もちろんそのような歌のつくり方を否定するものではありません。

正直、鑓水さんの読みも、鎌田さんの読みもどちらもうなずけますが、
それでもちょっと読者に委ねすぎのように思えました。

もう少しディテールを書き込むこと、
そして自分の意見を表明することを恐れないことが
この歌に必要なのではないかと感じます。

Posted by 生沼義朗 at 2017年05月19日 12:02
生沼さんの評に、一言加えれば、読みは読者の勝手でしょう。むろんテクストの理解ないし承知は不可欠であるが。この歌をジャンル別すれば、社会詠・時事詠に属していると思う。
JRを社会時事としてたんたんと詠い、一首に主体の情はないように見えるが、作者は上句にしっかりと詠いこんでいる。
その後のことまで、読者の読みの行方を見届ける、または理解を作品に担保する義務が作者にあるだろうか。
この歌にかぎって、ディテールを書き込む必要はないと思う。
確かに作者の意見・立場はないようであるが、読者に投げ出しているように見えるが、三十一文字の中に、そこまで収めることが出来るだろうか。
この歌はあえて事実を、事実として短く詠っているのである。
この歌は、後は読み手の勝手に任せるという、一社会詠であると思う。なお、私見であるが、歌というもの、作者として意見なり立場を一々述べるものでもあるまいと思う。
Posted by かわすみさとる at 2017年05月19日 13:36
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