この記事へのコメント
夏の海水浴場での情景である。
普通、積乱雲を入道雲ということが多いが、一首では比喩として海坊主のようなと直喩を用いたところが面白かった。海坊主というのは海に出る日本の妖怪だが、歌川国芳の浮世絵の海坊主や水木しげるの海坊主など、真っ黒で目だけがぎょろりと白い巨大妖怪が思い浮かぶ。
砂浜で体を熱い砂に埋められる遊びはよくやるものだ。首まで埋まって空だけを見ていると、遠く真っ黒な積乱雲がむくむくと育っていくのが見える。結句の「埋められていた」という他人事のような言い切り方がユーモラスで、間もなく土砂降りがやってきそうな危機感と対照的で面白い。
Posted by 安野文麿 at 2017年08月11日 10:06
「埋められたことがある」のような書き方ではなくて、
「埋められていた」と過去のある瞬間を切り取ったことで、
(理由は上手く説明できないのですが…ごった返すビーチに
いるはずなのに、落ち着いた書きぶりだからでしょうか)
砂に埋めた人たちはこのとき傍にいなかったんじゃないかな、
しばらく放置されていたんじゃないかな、と思えました。
前評の安野さん同様、他人事感が面白いです。

イジメとまではいかないんでしょうが「僕/私はここで寝てるよ」
と言う主人公と、「○○はこのままでいいよね」と言う友人たち
の姿、そんな関係性が思い浮かびました。

題詠ということだと、海坊主の「海」もビーチ(和訳:海辺)もあるので
少しごちゃっとしているかな、と感じました。
Posted by 砺波 湊 at 2017年08月15日 14:51
前評者お二人と同じような印象を持ちました。ただ、「海坊主」と「ビーチ」は外せないとおもいます。「ビーチ」で浜辺の様子が見えますし「海坊主の様な雲」も外せないと思います。この他人ごとの様な1首は過去の思い出だと思いますが、そこはかとない孤独感と同時にそれを味わう自分に満足しているような不思議な幸福感も感じます。
Posted by さとう ひろこ at 2017年08月15日 17:11
 「埋められていた」「そうですか」と返したいような楽しさがあります。巨大な入道雲と首まで砂に埋まっているちいさいわたし。でもこのわたしは、海坊主と(想像の中で)戦うことになっても飄々と勝ちそうです。ずっとカメラがおりていく、縦長のパノラマのような画面構成がいいと思いました。絵がとても整理されていて綺麗です。
Posted by 国東杏蜜 at 2017年08月25日 23:27
8月のイラスト集にでも出てくるような典型的な夏の海の絵柄が思い浮かびました。
結句の他人事のような詠み方から、さとうひろこさんも指摘されているように過去の思い出の1首だと思いましたが、まるで今のことのようにリアルで、砂の感触が伝わってくるような感じがして魅力的だと思いました。
Posted by 加藤隆枝 at 2017年08月27日 11:44
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