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2017年08月02日
第32回ネット歌会詠草/20
絵を描きて物語する児がゐたり果てなき海にこぎだす小舟
【選歌集計結果=6票】
【投票者=かわすみさとる/桑原憂太郎/渋谷和夫/高橋有希子/高良俊礼/西五辻芳子】
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Comment(8)
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この記事へのコメント
「絵を描きて物語する児」の児とはおそらく作者の愛児かも知れません。上句から平和な光景を想像しますが、一抹のさびしさを上句だけからも覚えるのは、絵を描く児の一人遊びか、傍らの親に聞かせる児の行為かは判然としませんが、絵を描き物語する児の所作に隠しようもない孤独を見て取れるからに違いありません。人間はこんなにも小さい(幼い)時からすでに孤独なのだ、と私などは思います。
下句はすこし余剰というか言い過ぎかも知れません。児の未来はたしかに能動的に「こぎだす」小舟かも知れませんが、ここは「ただよふ」くらいの平板な景色くらいに収めてみたらどうでしょうか。
Posted by かわすみさとる at 2017年08月09日 20:44
絵を描きて物語する児がゐたり果てなき海にこぎだす小舟
幼児は、時に大人の想像力を超えるようなネバーエンディングストーリ
ーをたどたどしい言葉で話してくれますね。
そばで接していないと表現出来ないリアルさにひかれました。
私もあまりに面白くて書き取った事がありました。
絵をかきながらお話していた幼子はもういない。
外に遊びにいったのでしょうか。
絵を描くことより他のことに興味がうつったのか、どこにいってしまったか
詠まれていない。或いは過去の記憶を詠ったものかもしれない。
下の句は、一転して「小舟が果てなき海にこぎだす」と現在形で詠み
その描かれた絵を表していると私は理解したのですが
「果てなき海」が、少し画一的ですし「小舟」も大人目線の表現で
寂寥感が漂い上の句の良さをうまくうけていないようです。
また「描きて」はイ音便の「描いて」のほうがこの作ではいいと思う。
Posted by 西五辻芳子 at 2017年08月13日 16:37
前評のかわすみさんの「一抹の不安」「隠しようもない孤独」は、下句の大きな「海」と対比される「小舟」の印象から来ているのかなとも思いました。
私は、上句からは、子をもつ親の視線の温かさを感じ、下句は、その子どもが人生という海路を漕ぎ出していく様(と、子どもが描いた絵のストーリーと、両方の解釈ができるように一首が構成されているのでしょう)を優しく見守る親の思いを感じ、大いに共感をしました。
下句、「こぎだす」にしたことで、子どもが自ら、自身の人生を歩み行け、という親の視点からの思いが伝わってきます。ですので、下句で「こぎだす」を「ただよふ」に変えると、それこそ、一首のなかに漂う孤独感が焦点化され、下句の読みが、人生の海路よりも、子どもの描いた絵のストーリーの方に解釈が強まっていくと思われます。そうなると、歌の性格がガラリと変わってしまうので、ここは、そのままでもいいかな、と私は思います。
Posted by
桑原憂太郎
at 2017年08月13日 20:40
子供の成長を願い、案ずる親心がひしひしと伝わってくる歌だと思いました。
「児がゐたり」とあるので、お子さんが幼かったころを思い出しての歌でしょうか。
無邪気であどけない頃は、親の庇護の下で絵を描きながらお話しすることもできた。でも成長すればやがて未来へひとりで漕ぎ出さねばならない。子供のことを思い、尊重するからこそ、船出を見守る…。
子供の意志で「こぎだす小舟」には、親の胸に去来する様々な思いも積まれているのではないでしょうか。
Posted by 高橋有希子 at 2017年08月20日 18:46
前の評者の指摘の「描きて」をイ音便に、という提案に賛同します。この今の読みの段階では作者が女性であるか否かは解りませんが、イ音便にすると柔らかな優しさが出ると思います。あえて言うなら女性的表現が濃厚になります。
そうした場合、三句の主格の「が」が気になりますから「が」を「の」にして「絵を描いて物語りする子のゐたり」となるかも知れません。
あと、たしかに子どものお話しは、前の評者の指摘のごとく、ネバーエンディング・ストーリーが多いですね。我がことならず、子ども時代の幼児性をひきずる世の成人男性がもつ夢は、たいがい夜の海上のような暗澹たる空間を漂って(ただよふて)いる、と思われますね。ただ、このような読みをすると、申し訳ありません、作者のこめる歌の性格とはガラリと距たってしまうかも知れません。
Posted by かわすみさとる at 2017年08月21日 12:14
みなさま票やコメントを頂きありがとうございました。
この歌が生まれた背景は二人の若き天才がとても似ていると思ったことからでした。現在熊本に居住の「坂口恭平」と、1977年に17歳で高崎市で亡くなった「山田かまち」です。幼いころから絵を描き、物語を書き、詩を書き、モノを作るのが大好きだった。かまちがなくなった翌年に、恭平は熊本で生まれて、二人に接点はないのですが、育ち方が似ているのです。かまちは高校2年でエレキギターに感電して亡くなりましたが、たくさんの詩や絵が残されていて、人々の感動を呼びました。「山田かまちデッサン水彩美術館」もありますし、『青い炎』という作品集もあります。坂口恭平は現在39歳ですが、建築家で思想家であり、絵に、詩に、小説に、家族4人で喜び苦しみ生きていくことが作品を生み出すことになっていくようです。目が離せません。そんな二人の天才の幼い姿を詠んでみました。
Posted by さとうひろこ at 2017年08月29日 15:02
作者のさとうひろこさんのコメントを読んで、どうしても言って置きたくて、三度目ですが、コメントします。
山田かまちを世に出したのは高崎の広瀬毅郎さんです。もっと正確に言えば、かまちのご両親であり、高崎の実業家、井上房一郎氏(井上工業社主)と言えます。かまちは昭和52年に亡くなりましたが、ご両親が4年後の命日に、『山田かまち遺作集』という立派な画集を出版なさいました。非売品のこの画集を広瀬さんから私は貰い受けましたが、それは丁度、広瀬さんが井上氏の意をうけて、山田かまち美術館の構想を描いている時でした。無言館の窪島誠一郎氏のアドバイスも受けていたと思います。それ以来、ずっと長く私も山田かまちとは接して来ましたが、山田かまちのファンは圧倒的に若い子が多くて、高崎駅から烏川に向けて、暗い顔して歩いて行く子は、たいがい山田かまち美術館を目指す子たちでした。現在もおそらくそうでしょう。『青い炎』にも詳しく生い立ちが書かれいますが(今見たところ広瀬毅郎さんの記事もありました)、かまちは絵というより音楽に才能があったのではないですか。幼児期の絵にははっとさせれますが、中学・高校のデッサンなどは才能のひとかけらも見られない。お世辞にも上手とはいえない。おそらく氷室京介と中高時代にバンドを組んでいた位ですから、生きていたらきっと、音楽の道に進んで、学校の音楽教師になっていただろうと思います。少し長くなりましたが、山田かまちは、決して貶めるのでなく、天才なんかではなかった、と思います。かまちより10才年上の前橋の私は、そう思います。詩に見られる鬱屈したものは高校浪人(学業の不振)をしたことが大きいと思います(両親の期待が大き過ぎた)。
Posted by かわすみさとる at 2017年08月29日 17:39
かわすみさん、山田かまちについてのコメントありがとうございました。音楽にのめりこむことも共通していました。坂口恭平のライブを体験しましたが、大杉栄が獄中から娘に宛た手紙を素材にした「魔子よ」という歌などは、大杉栄が憑依しているようでした。
Posted by さとう ひろこ at 2017年08月30日 08:47
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そうした場合、三句の主格の「が」が気になりますから「が」を「の」にして「絵を描いて物語りする子のゐたり」となるかも知れません。
あと、たしかに子どものお話しは、前の評者の指摘のごとく、ネバーエンディング・ストーリーが多いですね。我がことならず、子ども時代の幼児性をひきずる世の成人男性がもつ夢は、たいがい夜の海上のような暗澹たる空間を漂って(ただよふて)いる、と思われますね。ただ、このような読みをすると、申し訳ありません、作者のこめる歌の性格とはガラリと距たってしまうかも知れません。
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